研究概要 |
本調査の目的は, 近代華北農村社会の基礎構造を明らかにするところにある. 近代華化社会に関するモノグラフィは多いとは言えない. だが, 李景漢, 楊懋春, または, 満鉄調査部を中心としたグループによるものは, 幾多の重要な問題提起をしている. これらに描かれている事項を, まず確認することから調査は出発した. 第二に, 華南, 東南中国の社会調査で蓄積された成果の検証にも, 関心を持っている. Freedmanの宗族研究, 費孝通の「差序格局」の概念, Friedの干親関係への注目など, いずれも華北社会の研究においても欠すことができない. これらの確認と検証が華北農村社会の基礎構造の解明に一歩でも貢献できると考える. 対象地は2市4県であった. 調査日程は次の通りである. 1986年12月24日〜27日 山東省平原県蘇集郷前・后〓子李庄 12月27日〜30日 河北省威県大寧村, 紅桃園, 梨園屯 12月31日〜1987年1月3日 山東省臨清市 1987年1月7日〜10日 山東省済寧市 1月10日〜12日 山東省鉅野県薜扶集郷曽庄 1月13日〜15日 山東省高唐県琉璃寺郷 調査の主な項目は, (1)村の自治組織, (2)宗族組織と生活組織, (3)民間信仰, (4)民間宗教結社, 武術集団の組織と活動, (5)キリスト教教民の組織と活動, (6)義和団運動の経過, 担い手, 組織, 民間宗教とのかかわりであった. いくらかでも明らかになった事項を摘記すると, 以下のごとく整理できる. 1.村は村長によって治められる. 村長は大姓(成員数が多い姓)の族長が協議して決める. しかし, 村長の権限と仕事は最少限にとどめようとする傾向がある. こうした「村落自治」の消極的な性格は, 従来, 再々報告された内容と一致する. 2.どの村にも関帝神と土地神を祀った. 日常生活の中では, 廟で祀をするのは専ら老いた女のする仕事で, 男たちの関心を引いていない. しかし, 大村の廟の廟会は周囲の村々から人々を集め, 交易の機能を果した. また, 有名な廟や寺院は村人の誇りとなり, 村人の精神に凝集を生みだした事例もある. 村の自治と廟の活動は, 大村と小村とでは大きく異なり, 性急に一般化することはできない. だが, 村の平和と安寧を祈る共同祈願は, どの村にも弱い. 3.族は社会生活の基本的な単位となっている. 村長を決める, 税の負担を割り当てる, 防衛など, 村の共同生活の単位として機能した. また, 紛争の仲裁に, 族長にその仲介の役を期待している. しかし, 族の全員が一堂に会して協議することはない. 族の祭祀は, 清明節の参墓が中心であるが, 各家族がそれぞれの墓地に行って各自の身近な故人の墓に参拝するのにとどまっている. 4.村内のキリスト教民に対する評価も報告されている. キリスト教民のキリスト教の期待は, 飢饉のときの援助や相互扶助など, 幸運の祈願と実際的な支援への期待が中心であったようだ. 5.族が頼りとなる力を持たず, 社会関係が希薄な貧しい村々の姿がうかがえる. この中で, キリスト教を信仰する人々が, 信仰を通じて結び合う絆は, 一つの社会勢力に成長し得たと思われる. 6.武術を学んで結ぶ師弟の絆も, 人々を凝集させる求心力の一つとして機能した. 身を守るために勢力を頼む期待は, 武術を学ぶ人々のみならず, キリスト教民にも共通した. 「免災祈福」を祈願する伝統的老百姓の心情と深く関わるところのものである. 7.臨清と済寧では, 運河の盛衰の過程と, 産業活動に対するその影響を聴くことができた. 以上の知見は, 近代華化社会と村の人々の生活を理解する上で, 重要な鍵となる. とはいえ, 上記の知見を十分論議するには, 得られた資料は十分とはいえない. また, 今回の調査では, 民間信仰, 民間宗教結社に関する調査は, 手をつけられないまま残された. これらは, 次回の調査でさらに深められるべき課題として残された.
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