研究課題/領域番号 |
62045031
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 大学協力 |
研究機関 | 国士舘大学 |
研究代表者 |
藤井 秀夫 国士舘大学, イラク古代文化研究所, 所長・教授 (40052295)
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研究分担者 |
PETER Spanos (ミュンヘン大学)ルートヴィヒ, マキシミリアン大学・中近東考古学研究所, 講師
小口 和美 国士舘大学, イラク古代文化研究所, 助手 (90194521)
小口 裕通 国士舘大学, イラク古代文化研究所, 助手 (70152444)
松本 健 国士舘大学, イラク古代文化研究所, 講師 (00103672)
BARTHEL Hror (ミュンヘン大学)ルートヴィヒ, マキシミリアン大学・中近東考古学研究所・所長, 教授
SPANOS Peter Institut fur Vorderasiatische Archaologie, Universitat Munchen
HROUDA Barthel Institut fur Vorderasiatische Archaologie, Universitat Munchen
BARTHEL Hrou ルートヴィヒマキシミリアン大学, 中近東考古学研究所・所長, 教授
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研究期間 (年度) |
1987 – 1989
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研究課題ステータス |
完了 (1989年度)
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配分額 *注記 |
5,900千円 (直接経費: 5,900千円)
1989年度: 2,000千円 (直接経費: 2,000千円)
1988年度: 1,900千円 (直接経費: 1,900千円)
1987年度: 2,000千円 (直接経費: 2,000千円)
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キーワード | メソポタミア考古学 / イラク / 紀元前2千年紀 / 編年 |
研究概要 |
1930年代にシリアのマリ(Mari)遺跡から厖大な楔形文字史料が発見された。この画期的な発見を契機として、紀元2千年紀のメソポタミアにおける歴史的編年の研究は飛躍的な進歩を遂げた。それに比べ立ち遅れた観がある考古学的編年についての研究は、歴史的編年との間に介在する矛盾を内包しつつ、また多くの基本的問題が未解決のまま現在に至っている。当研究グループは、この紀元前2千年紀におけるメソポタミアの考古学的編年について、日本およびドイツ各隊の新発掘質料を基に修正・補足を加えつつ再検討し、研究史上最も妥当な編年体系を確立することを目的に、昭和62年から平成元年にかけての3年間、メソポタミア考古学の権威の一人であるルーダ教授と共に次のような共同研究を進めてきた。 まず、日本およびドイツ各隊が北イラクでの発掘を通じて得た問題点を互いに提出しあい討議した結果、紀元前2千年紀の前半に北メソポタミアで流行したハブール土器(Khabur ware)について共通する疑問点を両者がもっていることがわかり、この土器に関わる問題に論点をしぼることになった。主な論点は次のようなものである。 1.ハブール土器の出現と終了の年代について 2.当研究分担者の一人であるルーダ教授が1957年に提唱したハブール土器の前・後期という時期細分について 3.後期ハブール土器と紀元前2千年紀の中頃に流行したヌジ土器(Nuzi ware)の関係について そして、これらの諸問題について討議した結果、下記のような結論を得た。 1.ハブー
ル土器の出現年代は、従来、この土器と共伴する楔形文字史料によって、古アッシリアの王、シャムシ・アダドI世(Shamshi-Adad I)の時期〔中年代説をとると、この王の統治年代は紀元前1813年ー1781年頃〕に帰せられていたが、北イラクで日本あるいはドイツ各隊がそれぞれ発掘調査した、テル・ジカーン(Tell Jigan)そしてテル・ハメッド・アガ・サギール(Tall Hamad Aga as-Sagir)の各遺跡から得られた考古学的証拠がこの従来の説に適合せず、当研究グループは、まずこの土器の出現年代についての定説に疑いを抱いた。そして、討議した結果、この土器の出現年代は、理論的に証左できる段階、すなわち古アッシリアの王シャルウキン(Sharruken)まで、従来の定説よりも引き上げることができるという、意見の一致をみた。この土器の終了年代に関しては、従来ヌジ土器の出現年代(15世紀頃)が指標とされていたがしかし、前・後期というこの土器の時期細分概念について次の項目に記すような反論があるため、かなり議論の余地を残す問題として保留することになった。 2.前・後期ハブール土器の概念についての討論のなかで、ルーダ教授は、自説を修正し、1979年にスタイン(D.L.Stein)によって提示された新概念に準ずるべきであることを主張した。それは、従来後期ハブール土器とされてきたものをヌジ土器の範疇に組み入れるという概念設定である。しかし、この場合、新たにヌジ土器の定義を検討する必要が生じてきた。何れにせよ、この新しいヌジ土器の概念にしたがえば、ヌジ土器の始まりは前16世紀頃となる。 3.上記のような新概念設定により、前期ハブール土器から後期ハブール土器への系統性が否定され、後期ハブール土器と従来のヌジ土器との親縁性と、後期ハブール土器をも含めたヌジ土器の新しい概念規定が更に問題となってきた。 なお、当研究グループの最終目標である当該時期・地域における考古学的編年の確立は未だ達成できないが、その達成までの一過程として、今までの研究成果を研究論文集として出版することを予定している。
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