研究課題/領域番号 |
62301075
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研究種目 |
総合研究(A)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
経済史
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
石井 寛治 東京大学, 経済学部, 教授 (20012122)
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研究分担者 |
鈴木 ゆり子 お茶の水女子大学, 人間文化研究科, 助手 (50196888)
菅野 則子 一橋大学, 経済学部, 助手 (10017535)
谷本 雅之 富山大学, 経済学部, 講師 (10197535)
菅原 憲二 愛媛大学, 法文学部, 助教授 (00162850)
林 玲子 流通経済大学, 経済学部, 教授 (90094987)
久留島 浩 千葉大学, 教育学部, 講師 (30161772)
大口 勇次郎 お茶の水女子大学, 文教育学部, 教授 (00017112)
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研究期間 (年度) |
1987 – 1988
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研究課題ステータス |
完了 (1988年度)
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配分額 *注記 |
7,000千円 (直接経費: 7,000千円)
1988年度: 3,000千円 (直接経費: 3,000千円)
1987年度: 4,000千円 (直接経費: 4,000千円)
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キーワード | 庄屋 / 村落構造 / 家族形態 / 奉公人 / 被差別氏 / 綿花栽培 / 製茶業者 / 酒造業者 / 被差別民 / 幕藩制 / 身分制度 / 大庄屋 / 綿業 / 茶業 / 幕末開港 / 製茶輸出 |
研究概要 |
1.上狛村では、太閤検地のさい、中世の荘官狛氏でなく、外来者で土地を集積した浅田家が庄屋に任命され、その後狛氏一族の松井氏が農村の秩序を背景に庄屋浅田家と対立した(ただし、浅田家の庄屋就任時期は推定にとどまる)。同村は、1635年4か村に分かれるが、それは4人の庄屋へ親戚や近隣居住者が分属する形をとったため、耕地は極端に入り組んでしまった。 2.西法花野村「宗旨改帳」によると、1670年代に複合大家族の解体がみられ、18世紀中は人口・戸数とも漸減し、19世紀に入って人口が増加する。この間成年男子の出奔が多いが、絶家のあとを他村の親戚が入って継ぐこともよくみられた。出奉公人の史料からは、17世紀中葉に江戸その他、その後は畿内都市・農村への出奉公が多く、年季切れ後も戻らぬ者が多いことがわかる。19世紀に入ると、大坂への女子奉公人が何故か急増するが、人口も増加しているから、村内での就業機会も増えていたのであろう。 3.中世非人宿「コマの宿」の流れを汲んで、近世の上狛村にも「夙」などの被差別民がいた。彼らは、結婚、埋葬、宗教など生活面で根強い差別を受けており、1838年には百姓の差別発言を京都町奉行所へ訴える事件が生ずるが、その基礎には、百姓・商人としての彼らの経済的成長があった。 4.近世初頭から綿作地帯であった南山城は、幕末開港後は製茶輸出の刺激を受けて製茶地帯へと変貌する。比較的早くから茶業が展開していた綴喜郡田原郷などでは、多数の焙炉師と茶摘子を雇う大規模経営がみられたが、雇い入れ期間はせいぜい10日間程度にすぎなかった。なお、田原郷や和束郷の茶商人につづいて上狛茶商人が成長するのは1870年代後半からである。この地域経済の分析にさいしては、林村柳沢家にみられるような安定的だが非成長指向の酒造業経営者=豪農の存在もあわせて注目される必要があろう。
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