研究概要 |
本研究の目的は尾形光琳の絵画作品にみられる装飾的要素を分析することである. その方法の一つに光琳が呉服商家の出身である事実に鑑みて, 江戸時代初・中期の小袖の雛形本に表わされた多くの模様からいわゆる"光琳模様"の実態をさぐり, それと絵画との関係を考察することがあげられる. このため数度に亘り雛形本を所蔵する博物館, 美術館, 資料館, 呉服関連会社及び個人の所蔵家などにおいて調査, 閲覧, 写真撮影, 複写を行った. 集められた雛形本資料は約50種, 小袖模様にして約4千点に及んでいる. これら資料にみられる模様は種類別にとりあげ各々の変遷を辿り, それによって光琳が絵画作品にとり入れた装飾的なモチーフの意味と絵画史における位置づけを明確にしなければならないが, 現時点においてそれを一挙にまとめることはできなかった. そこでまず雛形本に表わされた"光琳模様"をすべてひろい出し, それの発生と展開を辿ってみることにした. その結果明らかになったことを次に記してみたい. かつていわゆる"光琳模様"の流行は画家光琳自身とは無関係の現象のように考えられていたが, 少くとも発生のきっかけは光琳がつくったものと思われる. 雛形に現われる光琳模様の最も早い時期の例は梅の模様がほとんどであるが, その表現法には光琳の水墨画との関係が看取されるからである. 江戸初期に流行した水墨画風の"描き小袖"を光琳がしばしば行って有名になりそれを真似た模様の染色が友禅染の技術の発達によって制作可能になったが, そこでは光琳の水墨画の特色がやや誇張, 歪曲されて表わされた. そしてそれは光琳がとりあげることもなかったモチーフにも及んで, 光琳の死後"光琳模様"として大流行現象をきたしたのである.
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