研究概要 |
戦後の家庭科教育はCIE教育課の強力なリードのもとに成立した. 1946年4月に文部省内に教科課程改正準備委員会が設置され, 新しい教育の目標が検討された. 6月には教科課程改正委員会と名称変更し, CIE教育課との協議を開始した. 同年9月27日, 初・中等の教科課程の骨格が成立したがこのときまでに家事科, 裁縫科は「家政」として統合すること, 5〜9学年は女子必修, 10〜12学年は選択にすることが決められた. ところが, 10月に男女の教育の機会均等を保障するため, 男女同一カリキュラムを作ることが決定され, 上記の履修方法は再検討された. 結局, 小学校は工作の一部を加えてpractical artsとし, 男女共必修にすること, 中学校では職業科の一分科目として編入することになった. 職業科は男女とも必修であり, そのなかの分科目は性による強制をなくして選択できることにしたため, 家庭科は男女とも選択となった. これらが決定されたのは1947年1月である. 高校は当初から選択教科とされていたため, 上のような問題はなかった. 高校家庭科は普通教育としての「家庭」と職業教育としての「家庭技芸に関する教科」の2教科として成立した. これらは各々, 別の組織で構想され, 前者は小・中学校の家庭科を検討したグループが, 後者は戦前の職業学校の関係者が関わった. 最初の教科課程は1947年4月に示されたが, 1948年春にはその改正作業がはじまり, 夏には新教科課程が答申された. この改正作業のなかで普通教育としての家庭科は職業教育と代替可能な教科とみなされた. 大多数の女子の仕事は主婦であると考えられたためである. 結果として, 高校家庭科の普通教育と職業教育の区別は曖昧になり, それは今日までつづいている. 戦後教育改革により小・中・高とも, 形式的には男女同一カリキュラムが実現したが, 家庭科は成立時より女子用教科と考えられていたのである. 従来, 不明であった点を明らかにした.
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