研究概要 |
他人に自己のサービス・労働を提供して生活を営む人の理念型として, (1)身分を原理とするもの, (2)契約を原理とするものが考えられる. (1)は日本中世の譜代下人のように, 生まれながら他人に従属し, 他人のために終日労働するタイプで, 主人とは法的に平等ではない. これに対し後者は, 現代の八時間労働制のように, 他人のための労働の後に, 自分のための時間があり, 主人と労働者が法的に同一身分に属しているタイプである. この身分と契約の両タイプを両極に置いたとき, 近世の奉公人は主従関係は有期限の契約によりながら, 主人とは法的に平等でないので, 両者の中間に位することになる. 中世の下人の場合, 主人と下人とが同一身分でないことから, 主従関係はもっぱら〈対外道徳〉によって説明され, 下人のルーツは説経節や謡曲のように"恐ろしい人買いにだまされる物語"として人々に伝えられているが, 売主が年季売りした下人の手間料を定めた文書や, 一月二十日間の宮仕えを定めた借状(共に香取文書)などから, 労働契約的なあり方も存在したのである. 勿論, 近世の口入屋・人宿や民俗学が明らかにした奉公人市は, 契約を原理とする事例である. これらの場合, 主人と下人・奉公人の間には, 一定の信頼関係が前提とされているのである. 「てんこう(=癲狂)」文言のある人身売買文書は, 秀村選三氏の紹介した五例の外, 更に一例を加えることができる. これらはいずれも近隣間の信頼関係を前提としたもので, 「てんこう」とはホームシックをいい, 「大根てんこうは三月九十日」とあるのは, 一年の内三ヶ月・九十日間は親元に帰ってもよいとの特約である. つまりこれは, 日本中世においても〈対内道徳〉による労働契約的なあり方が存在したことを示したことを示しているのである.
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