研究概要 |
佐賀藩政史料を所蔵する鍋島文庫の調査を主として実施した. 藩の日記, 諸達帳を中心に検討し多数の史料を得たが,とくに政府達帳, 請御意, 肥前藩日誌, 明治3年歳入歳出取調子書などは明治初年の藩政の基本史料として重要である. その他明治行政資料の官省進達から殖産・軍事に関する史料を得た. このほか多久家文書では諸日記から本藩関係史料や多久私領の軍制史料, 武雄鍋島家文書からは家臣の禄制改革史料や武雄私領の軍制史料, 長崎県立図書館では高島石炭関係史料, また東大史料編纂所では最後の藩主鍋島直大伝, 内庫文庫では府県史料所収の佐賀藩関係史料を収集した. これらの史料調査によって明らかになってきた明治初年の藩政改革の概要は明治1年9月に官制改革が行われ行政機構の集中化が進められるとともに, 外国商人グラバーとの共同経営による高島での石炭採掘など積極的な殖産政策が実施された. そして明治2年正月に職制大網によって従来の二元的な支配構造の一元化が計られていくなかで, 新政府に登用されていた副島種臣と江藤新平が帰藩して藩政改革を行うことになり, 以後江藤新平を中心として改革が実施されていった. その内容は実務吏僚による行政機構の簡素化・集権化, 藩兵組織の改変による11か所の軍団の設置, 藩初以来続いた地方知行制の廃止, 大知行地における郡令所設置による蔵入地化などであった. また明治3年の藩財政の中で軍事費が多額を占めているように軍事増強が推進された. この倒幕派主導の藩政改革はこれまでの富国強兵策の展開によって藩体制強化の方針を引き継いだものであるが, 幕藩体制的束縛を脱し, 藩体制の中央集権化つまり割拠体制を一段と徹底させようとしたものであった. かかる雄藩の割拠体制のありかたが, 新政府において中央集権的政策の実現を急がせた背景にあったのではあるまいか. 明治7年の佐賀の乱を考える際にもこのような佐賀藩体制に注意しなければならない.
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