研究課題/領域番号 |
62510195
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
東洋史
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研究機関 | 鹿児島大学 |
研究代表者 |
大谷 敏夫 鹿児島大学, 法文学部, 教授 (90025073)
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研究期間 (年度) |
1987 – 1988
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研究課題ステータス |
完了 (1988年度)
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配分額 *注記 |
1,900千円 (直接経費: 1,900千円)
1988年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
1987年度: 1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
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キーワード | 経世 / 儒教 / 天理 / 士大夫 / 朱子 / 外来思想 / 伝統思想 / 国富 / 士丈夫 / 経世思想 / 実利思想 / 功利思想 / 有用の学 / 無用の学 / 実学と虚学 / 欧米思想の受容 |
研究概要 |
中国において経世学が学術として成立したのは明末清初期である。経世学とは世を治める学という意味であり、今日の学問分野で言えば、政治学を中心として他の経済・社会学等をも包含するものである。経世思想そのものは中国古代王朝国家が成立した時期から存在しており、経世という言葉も「荘子」に出典がある。しかし王朝国家支配の理念としては、孔孟のとく王道と荀子のとく覇道が重視されるようになり、これら原始儒教の概念をもとに漢代以降は儒学が王朝国家支配の理念として定着するようになる。ところでこの支配理念を体系づけたのは、まず前漢武帝の帝師であった董仲舒の夫人相関の理であり、次に宋朝朱子の提唱した三綱五常の理であった。この天理観に対して功利・欲望肯定をとく思想もあり、これが明末清初において大きな論争となった。経世学とは現実の政治・社会・経済の変動に対応する学術である故、明末王朝支配体制の危機的情況を反映して多くの経世思想が提唱され、それが一つの学術となった。ところが清朝の支配が確立すると、その王朝支配体制の論理としての天人相関論・三綱五常論は再び強化される。しかし一方では功利・欲望肯定論も地方士大夫の間に受けつがれた。これが清末の内外の危機的情況下にあって再び活況を呈するようになる。ところで清末の経世学はそれまでの伝統思想とは違った異質の外来思想流入という状況下にあってその経世的概念は大きく変化した。それは洋務派の提唱する伝統的な中体西用端の枠をこえた変法派の外来思想をも体とする思想の大転換であった。清末このような経世観の転換をもたらした理由は、欧米及び日本にならって制度変革を行ない、立憲君主体制下において富強を実現することが肝要であるという認識によるものであった。しかしこの変法運動が失敗に終ったため、王朝支配体制そのものが崩壊することになり、経世学研究もそれと共に終るのである。
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