従来の研究実績をもふまえつゝ、ひとまず「地方財閥」の一基本形態たる「地主財閥」(金貸資産家)に焦点を絞りつゝ検討を試みてみた。 以下に要点を示せば、 1)全国的にみても、主に水稲単作地帯での小作地帯と「大資産家」数は、かならずしも比例関係を示さない。 2)戦時期(1930's〜1945)には、地主層の交替がみられるが(たとえば秋田県南お千町歩地主池田家の没落後、次第に山林所有に重点おをといてゆくのは、農地改革との関連で興味ある動向である。 3)昭和4年の日銀新潟支店報告にも示されているように、同じく「東北型」に属するとはいえ、新潟と秋田との差違は著しく、秋田(県南地方に限らず)県における地主制は、中央株への指向を示さず、非レントナー的であり、いわば地元の地方銀行経営に関与するのが精々であり、いわゆる「小宇宙」的社会関係の中に蟄居しているにすぎない。 付)西馬音のS家も含めて、秋田県南地方の個別地主の経営分析と、共同研究を予定している平鹿町資料の検討を通じて、農業、蚕糸業の他に、町村制や支配構造の態様分析も併せ、戦前期「東北型」の典型たる秋田県における地主制史研究」を一層進展させてゆきたい。
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