研究概要 |
制御核融合反応の実現可能性について真剣に考え, 研究に取り組もうとする人々が現われた1955年ごろから, 核融合研究者の全国的組織, 核融合懇談会, が結成される1958年初頭までの, 日本における核融合研究の動向を明らかにするため, 資料調査・収集, インタビューを行ない, 要旨次のことを明らかにした:1.制御核融合反応の実現可能性について最初に公けに議論されたのは, 1956年4月京大基礎物理学研究所(以下基研)で開かれた超高温研究会においてである. それは前年2月, 10月に開かれた天体核現象に関する研究会の延長上に計画され, その主な推進者は早川幸男である. 適当な磁場のもとで高温なプラズマを発生させ熱核反応をおこさせるという考えが中心に議論された. 2.その超高温を発生させる最初の大電流放電実験が, 1956年6月大阪工学部熔接工学科岡田実研究室において公開され, このとき超高温研究会が結成された. この実験は, 同研究室の有安富雄が基研の超高温研究会計画を知って岡田に進言したことから本格的に始まり, 有安は基研の研究会にも出席している. 岡田研におけるピンチ効果の実験は, 同年7月日本物理学会年会放電分科において有安により報告されたが, そこには, 渡辺寧, 長尾重夫, 八田吉典, 高山一男, 山本賢三, といった, 東北大工, 通研, 名古屋大工で最初に核融合研究に取り組んだ人々が出席している. 3.熱核反応をおこさせる可能性を追求した上記グループとは別に, 東大理学部原子核実験の宮本梧楼研究室では, すでに同研究グループで開発していた完全収束型質量分析計を使う核融合発生装置の可能性を考慮し, 1957年はじめから公表しはじめた. 4.日大理工学部では1956年秋から物理学科創設の準備が湯川秀樹を中心にすすめられ, 核融合研究を重点的に行う方針をきめた. これには基研研究会のインパクトが大きい.
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