研究課題/領域番号 |
63041091
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 広島大学 |
研究代表者 |
今永 清二 広島大学, 文学部, 教授 (60033502)
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研究分担者 |
アルン アジャン シーナカリンウイロート大学, 社会科学部, 助教授
ノム ウンカ゛ムニサイ シーナカリンウイロート大学, 社会科学部, 助教授
竹花 誠児 広島大学, 平和科学研究センター, 助手 (30171664)
AJANG Arun Faculty of Social Science, Srinakharinwirot University, Associate Professor
NGAMNISAI Nom Faculty of Social Science, Srinakharinwirot University, Associate Professor
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研究期間 (年度) |
1988 – 1989
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研究課題ステータス |
完了 (1989年度)
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配分額 *注記 |
8,400千円 (直接経費: 8,400千円)
1989年度: 3,400千円 (直接経費: 3,400千円)
1988年度: 5,000千円 (直接経費: 5,000千円)
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キーワード | ホ-・イスラム / 雲南人ムスリム / シ-ア派ムスリム社会 / イスラム共同体 / ハナフィ-派 / イマ-ム / アホン / 王和清真寺 |
研究概要 |
本研究は、タイ北部のホ-・イスラム社会の形成と発展、及びその実態を明らかにするための基礎的調査である。また比較史の観点から、タイ中部のタイ・イスラム社会、なかんずくシ-ア派ムスリム社会、タイ南部のマレ-人イスラム社会についても調査を行い、これら社会との対比において、タイ北部の中国系イスラム社会の歴史と実態を、可能な限り明らかにしたものである。 さて、ホ-とは、もともとはタイ人が中国雲南から、ビルマ経由タイ北部に移住してきた中国人ムスリムをさすタイ語であったと推定される。しかし現在では、ホ-という語は、陸路雲南からタイ北部に移住してきた中国人一般をさす語として用いられている。例えば1949年の中華人民共和国成立前後から、中国革命の影響をうけた結果、タイ北部に移住してきた中国人難民や国民党軍も、ホ-とよばれているのである。従ってホ-とは、広義には中国より陸路タイ北部に移住した中国人、狭義には同じく陸路この地域に移住してきた中国系ムスリム、なかんずく雲南人ムスリムと規定してよいであろう。 しかし、ホ-の中心がイスラム教徒であったことは、最初のホ-の共同体がムスリムによって構成され、そのイスラム共同体が20世紀初め頃、チェンマイのヴァンピンに形成されたことからも明らかである。このイスラム共同体は、王和清真寺(Masjid Hidayatullah)を中心に形成されたバン・ホ-(ホ-の村)である。バン・ホ-が形成される以前、チェンマイのチャンパク門の北側に、ホ-が居住していたが、彼らの商業活動が発展して、ピン川を利用した河川交易やランプン方面との交易が盛んになり、かつタイ王国の官公文書の輸送などにも関わることになった結果、チャンパク一帯よりも立地条件のよいヴァンピン、すなわちバン・ホ-の一帯に彼らが居住するにいたった。そして中国人イスラム共同体の発展を見たが、その中心人物が鄭崇林であった。以上の事実からも、ホ-・イスラム社会の形成と発展の要因が、ホ-による商業・交易活動によるものであったことがわかる。 バン・ホ-以外の中国人ムスリム社会は、多くは第2次大戦後の国共内戦、及び中華人民共和国成立に伴う政治的混乱によって、難民として、あるいは共産軍に敗北した国民党軍の残党として、タイ北部に移住したものによって形成された。彼らは一般中国人とともに、タイ政府の指示によりチェンマイ、チェンライ両県下に定住させられた。そして、ムスリム以外の中国人社会(ホ-社会)も出現したが、仏教徒、キリスト教徒、イスラム教徒からなるホ-社会も成立したのである。 さて、ホ-・イスラム社会は、モスクを中心としたイスラム共同体である。集団規模は一定していないが、都市は大型、農村は小型集団である。バン・ホ-の場合は、ヒアリングによれば約600人の中国人ムスリムが王和清真寺を中心に集住し、商業などに従事している。また、中国系と南アジア系のムスリムが混住する共同体もある。チェンマイのサンパコイの場合は、純粋なホ-・イスラム共同体ではないが、バン・ホ-のムスリム人口が増大した結果、一部のものがサンパコイに移り、アルタクワ・モスク(Masjid Attaqwa)を建ててムスリム居住区が形成され、その後バングラデシュ人やパキスタン人が移住して混住したものである。 さて、ホ-によって形成されたイスラム共同体の宗派は、中国イスラムと同じく、ハナフィ-派に属する。ハナフィ-派は、土着の慣行などに対してかなり柔軟に対応する宗派でもある。また、ホ-のイスラムにはペルシア的要素が強く、アホン(阿衡、Ahund,イスラム知識人)がいてイスラム社会の運営に関わっている。モスクの長はイマ-ムであるが、イマ-ムはイスラム社会の世俗的実力者から構成されるイスラム委員会によって招聘されたものであり、共同体の自治的運営に関わる面はイスラム委員会、宗教的分野をイマ-ム、コテイブ、ミ-ランが担う形となっている。 ホ-・イスラム社会の実態と歴史的発展の諸相は、シ-ア派ムスリム社会等との比較研究をまたなければならないが、ホ-・ムスリムはタイ社会への同化がかなり進んでいるといえる。
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