研究課題/領域番号 |
63041102
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 熊本大学 |
研究代表者 |
白木原 和美 熊本大学, 文学部, 教授 (60089141)
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研究分担者 |
岩崎 充宏 熊本大学, 文学部, 助手 (10213282)
木下 尚子 梅光女学院大学, 講師 (70169910)
劉 茂源 梅光女学院大学, 教授 (90210814)
LIU Mao-yuan Professor; Baiko-jogakuin College
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研究期間 (年度) |
1989
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研究課題ステータス |
完了 (1989年度)
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配分額 *注記 |
5,700千円 (直接経費: 5,700千円)
1989年度: 2,700千円 (直接経費: 2,700千円)
1988年度: 3,000千円 (直接経費: 3,000千円)
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キーワード | 台湾東海岸の文化的役割 / 土器文化の南部早期定着 / 台湾土器文化の内向性 / 南部文化の東海岸北上 / 卑南埋葬址の世俗性 / 麒麟文化とミクロネシア巨石文化の類似性 / 長濱(旧石器)文化 / 新石器文化の可能性 / 亀山島踏査の必要性 |
研究概要 |
1988年夏、約1ケ月を費して台湾島東海岸の先史遺跡に対してGeneral Surveyを実施した。その最終的な目的は「北部ルソン・バシ-海峡方面の先史文化と南西諸島(奄美・沖繩方面)の先史文化との相関々係の実態を確認すること」にあるが、勿論、一度のSurveyだけでそれが果せると考えていたわけではない。1989年はSurveyの結果の整理・総括・公報を行なった。 Surveyは先史遺物の蒐集機関・個人蒐集家の歴訪から始められた。関係者の住居や機関はいずれも西海岸にあるため、結果的には西海岸についても幾つかの印象を得ることができた。そのうち、土器文化の渡来は出自を異にしながら、数波にわたり、南部に早く北部に稍々遅れて展開したとの印象は、東海岸の観察にとっても有用であった。 南北両方の相異はその後の発展の仕方にも関連しており、南はバシ-方面、北しはシナ海北隅との繋がりを深めたようである。南との繋がりは具体的には小形楕円形偏平礫の両縁にノッチを入れた魚網錘の存在によって裏づけられる。2つの錘は、台湾島を南下するにつれて分布が濃くなるが、バシ-方面の濃度に比べると遠く及ばない。台湾島が文化基地であって、ここからバシ-方面に南下したとする説と、バシ-からの北上を重視する主張と併立したままであるが、漁法に限定する限りでは北上現象と解すべきであろう。 東シナ海の漁撈文化の中心は朝鮮半島基部〜渤海のあたりと推定されるが、鉤、銛などに共通点があり、台湾島の北寄りの工器文化の漁撈はこの影響下にあると推定された。逆に台湾島北部が渤海は勿論、九州島などに対して積極的に作用した証査はない。 つまり台湾島の土器文化は何らかの積極性によって成立したものであるにかかわらず、その後は自足の傾向を強め、島の外に対しては南北両方向共にあまり大きな影響を与えていないと言える。 蘭〓においては新たな遺物の散布地を数ケ所に亘って指摘できたが、それらは岬端の断崖の上などの特殊な地点にも及んでおり、立地条件に漁撈への強い傾斜を示すものが多いにかかわらず、漁撈関係用具が少なく且つ未発達である点が論議された。土掘り用としては粗大な打製石斧が目立ったが、これらはバシ-方面のものと趣を異にしており、その文化は渡来後の独自の発展によるところが大きいもののようである。なお緑島はアミ族の渡来に関連する伝説があるにかかわらず、先史にさかのぼる遺跡は確認できなかった。 西海岸に定着した文化はそれぞれ南からと北から東海岸に波及したと見られるが、東海岸の南グル-プと北グル-プとは花蓮〜宜蘭間の長距離に亘る聳立海岸にさえぎられて分離された形になっている。従って東海岸の先史文化というのは、事実上花蓮以南にしか実在していない。此處の文化に特長的なのは石器の殆どが粗製の打製石斧であり、謹格な磨製石斧は痕跡的にしか存在しない。 卑南文化は粘板岩製箱式石棺の群集と特異な石製副葬品で有名であり、生活現場と隔絶したセメトリとして理解される傾があるが、石材その他は家屋の構成部分の移築されたものであって、その加工技術の追求は遺跡の構築者を現存種属の中に特定できる可能性を持つものである。但し、巨石文化と俗稱されている麒麟文化は石造構築物を持っているわけではなく、男女に擬せられている立石は石斧などの肥大化したものである可能性が強く、ミクロネシアの巨大石貨などと似た性格のものと解することができる。なお、旧石器文化とされている長浜文化の多量の大形剥片は、東海岸に通有の粗大な打製石斧の素材である可能性が強いとの議論があった。 以上のように、幾つかの新しい所見を得ることができたが、最終的な目標であるルソン・バシ-〜台湾東海岸〜南西諸島の相互の関連についてははかばかしい手がかりは得られなかった。機会を得て(1)花蓮〜宜蘭間の聳立海岸の処々にある猫額大の緑地にキャンプサイトを探査すること、(2)今回軍事に抵触して踏査できなかった亀山島を調査すること、の二点を主眼に調査隊を編成したいものである。特に後者は台湾島北まわりの文化地帯と八重山・先島の諸島の中継点にあり、有用な手がかりを得られるはずである。 なお成果はとりあえず200葉ほどの資料集『台湾東海岸先史学資料集』1990(熊本大学)として刊行した。文章による解説・記録・論改など、機会を得て刊行したい。
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