研究課題/領域番号 |
63044043
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 共同研究 |
研究機関 | 東京芸術大学 |
研究代表者 |
中野 政樹 東京芸術大学, 美術学部, 教授 (50015195)
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研究分担者 |
姜 友邦 韓国国立中央博物館, 美術部長
李 蘭暎 韓国国立慶州博物館, 館長
浅井 和春 東京国立博物館, 学芸部, 主任研究官 (60132700)
高橋 都代子 東京芸術大学, 美術学部, 助手 (40197158)
新山 栄 東京芸術大学, 美術学部, 教授 (30015242)
西 大由 東京芸術大学, 美術学部, 教授 (70015212)
水野 敬三郎 東京芸術大学, 美術学部, 教授 (50015228)
KANG Woo-Bang Chief Curator, Fine arts Department, National Museum of Korea
LEE Nan-Young Director, Kyongju National Museum
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研究期間 (年度) |
1988 – 1990
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研究課題ステータス |
完了 (1990年度)
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配分額 *注記 |
4,800千円 (直接経費: 4,800千円)
1990年度: 1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
1989年度: 1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
1988年度: 2,000千円 (直接経費: 2,000千円)
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キーワード | 舎利 / 舎利容器 / 感恩寺 / 崇福寺 / 魚々子 / 複連点文 |
研究概要 |
舎利容器は釈尊の遺骨すなはち仏舎利を納める容器である。釈迦が入滅すると、茶毘に付し、その遺灰遺骨を舎利容器に納め、釈尊として尊崇し、大塔をつくり、そのなかに奉安した。仏舎利を奉安礼拝する習は遠く印度にはじまり、中国、朝鮮半島を経て日本にもたらされる。舎利容器はいずれも釈迦の宝棺が金銀銅鉄の四重棺であったことを伝える経典にも示されているように印度以来の舎利容器の伝統を踏襲するものである。仏舎利を保護、荘激するために調進された舎利容器および副葬品は釈尊の遺骨を奉安するという目的から、工芸技法の粋を集めた当時の工芸の高い水準を示すもので、舎利容器はその国のその時代の工芸の特色を端的に示すものと言えよう。わが国の舎利容器は直接、韓国の舎利容器の影響をうけており、工芸技術とくに金工技術の上で関連が深いと思われる。今回の調査研究の目的の一つはこの点を明かにしていくところにあるといえる。 調査は昭和63年度、平成元年度、平成二年度と3回実施し、韓国国立博物館の御協力を得て順調に行なわれた。いずれも韓国国立中央博物館、国立慶州博物館を中心に、韓国にある舎利容器および塔を対象として調査した。以上の調査から、韓国における舎利容器の基礎資料を集録することがでこきた。 この海外共同調査において、韓国における舎利容器資料として取り上げる事の出来たものは唐開燿2年(682)に作られたと伝えられる感恩寺舎利容器、仏国寺舎利容器、皇龍寺舎利容器、神亀2年(706)の年記を刻む外容器に納められた皇福寺舎利容器をはじめとして、統一新羅時代のものを中心に約20口にも及んでいる。これによって韓国における舎利器の全貌がほぼ示されるといえよう。 わが国の舎利器については滋賀崇福寺の塔跡出土の舎利器についてとくに共同調査し、韓国で調査した舎利容器と比較研究し、成果があった。これについては「仏教芸術」第188号に論文を掲載した。この調査にあたってはとくに金工技術研究面に重点をおいた。第一次調査では感恩寺の舎利容器を重点的に調査した。とくに外容器につけられた薄肉彫の四天王像、薄肉彫唐草文様、魚々子技術について検討を加えた。第二次調査では皇龍寺の舎利容器、皇福寺の舎利容器を重点的に調査した。ここでは魚々子技術を中心に金工技術を検討し多くの知見を得た。第三次調査では舎利容器発見の塔を現地において調査した。 このたびの海外調査研究においては、とくに金工技法のうち、魚々子打ち技術について新しい知見を得たことが大きな成果である。魚々子は先端が丸い輪型の刃をもつ鏨を打ち込んで、魚の卵のような粒粒を作り出す金工独特の技術である。この魚々子技法はわが国では白鳳時代以後の金工品の中によくみられる。韓国から早くに伝来したものと考えられるが、今回の調査によってわが国に新羅を通って伝わったことを確認するとともに、その伝来の時期をほぼ推定することが出来た。すなはち、感恩寺の舎利容器の中には魚々子技法及びその変形技法と考えられる複連点文が認められるが、この魚々子技術はわが国の崇福寺塔心礎発見の舎利容器と伴出した鉄鏡の鏡背文様にみられる魚々子と酷似しており、また複連点文は白鳳から奈良時代にかけての法隆寺献納宝物の金銅仏のなかにもかなりみることができ、技術的に関連するものであることが認められる。崇福寺の創建は天智7年(668)であり、舎利容器と伴出した鏡にみられる魚々子技術はわが国では年記を徴証できる初出の資料である。感恩寺の舎利容器の製作が7世紀後半であるころから、両者は極めて近い時期にあり、魚々子技法は統一新羅において当時盛行した技術であり、崇福寺創建頃にわが国に導入されたと推定できる。 韓国の舎利容器はわが国における上代金工技術を明確にする貴重な資料であることをあらためて確認できた。この調査研究結果の一部は「仏教芸術」第188号に掲載した。
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