研究課題/領域番号 |
63044052
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 共同研究 |
研究機関 | 富山大学 |
研究代表者 |
磯部 彰 富山大学, 人文学部, 助教授 (90143841)
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研究分担者 |
彭 飛 上海大学, 文学院, 副教授
江 巨〓 復旦大学, 中文系, 副教授
李 平 復旦大学, 中文系, 副教授
磯部 祐子 高岡短期大学, 産業情報学科, 講師 (00161696)
市来 津由彦 東北大学, 教養部, 助教授 (30142897)
P'ING Jih the Department of Chinese literature, Assistant professor, Fu tan University
JUNG Chiang Chu the Department of Chinese literature, Assistant professor, Fu tan University
FEI P'eng the Department of literature, Assistant professor, Shang hai University
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研究期間 (年度) |
1988 – 1989
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研究課題ステータス |
完了 (1989年度)
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配分額 *注記 |
6,000千円 (直接経費: 6,000千円)
1989年度: 2,000千円 (直接経費: 2,000千円)
1988年度: 4,000千円 (直接経費: 4,000千円)
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キーワード | 中国戯曲 / 地方劇 / 清代 / 独特色彩 / 地域土着化 / 上演場所 |
研究概要 |
従来、中国戯曲は、宋・金代の諸宮調という比較的簡単な寸劇的物語を基点として、元代の元曲に結実し、この段階において実質的な戯曲の確立がなされた、というように理解されて来た。しかしながら、一方で、宋・金の演劇と元曲との間に連続性があるのではないか(岩城秀夫氏『中国戯曲演劇研究』p427)という意見もあった。今回、我々が実施した華北地方の戯曲文物の調査と宋・金・元・明代の戯曲文献の分析などから、戯曲は、宋・金代には、既に華北では一定の水準に達し、それが次の元代に引き継がれて発展を重ねて行ったと見る方が良いのではないかと考えを強く懐いた。元曲の初期において、重要な役割を演ずる晋南地方(山西省南部)は、もともと金の故地で、そこより多数の戯曲レリ-フを備える墓室が発見されていることは、その一端を物語ると思われる。金朝は北宋朝を滅ぼした女真族の征服王朝であるが、かなり早い時期から漢民族の文化を受容し、例えば河南省登封県の中嶽廟に建てられる碑石(北宋・金の両大碑が並立する)からもわかるように、北宋朝、つまり中国王朝を継承する国家という自負があったらしい。それゆえ、北宋代の戯曲が断絶なく全国(金・南宋)に継承されたであろうことは、十分に推測可能である。元代、その晋南の地が、戯曲文化の一大中心地となり、辺鄙な農村部にまで戯台が設けられているのも、恐らく、北宋・金の伝統を継ぐ結果であろう。当時、江南は北宋を再興した南宋朝の支配となり、やはり戯曲は盛んであった。一般には、北宋の伝統がこの南宋に引き継がれ、北の金朝の文化はそれと比較すると劣るように考えられる傾向にあるが、実は、北宋の文化、ことに本研究のテ-マとする戯曲は、ほぼ同質的に南(南宋)・北(金)に分承されたのではなかろうか、と思われる。この点、福建省などの華南地方における戯曲の成熟度の問題とも関連して、更に検討を重ねる必要があろう。 明代に入ると、戯曲は各地域に土着化し、その地方の文化の影響を受けて、独特の色彩を持つ地方劇化してその発展をみせる。その背景には、南京・北京・杭州・蘇州・建陽などで書林が活発な出版活動を行ない、そのもとに文才豊かな読書人や知識欲にもえる商人・工匠人などが集まったことなどがあったからであろう。清代になると、戯曲は社会の安定とともに、各地方に定着し、今日言うところの地方劇となる。その上演場所は、大きく分類すれば、 1)寺廟 2)商人の会館 3)祠堂 4)草台(村落・城市の空地) といった広域になり、しかも、一ケ所に複数の戯台が設けられ、戯曲の競演が行なわれる場合も多かった。山西省翼城の対面戯台(明代のもの一座、清代のもの一座)、河津県の品字台などはその好例である。
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