研究概要 |
下記のように,二つの方向での研究を行った。 1.生体内及び抽出されたカロテノイドの電子励起状態によるピコ秒時間分解共鳴ラマン散乱 光合成細菌クロマチウム・ビノスムの光捕集色素・蛋白質複合体に含まれているカロテノイドであるスピリロキサンチンについて,生体膜(クロマトフォア)に含まれている状態と抽出したのちベンゼン溶液とした状態でピコ秒時間分解共鳴ラマンスペクトルを測定した。その結果から,最低励起一重項状態,最低励起三重項状態,基底状態におけるこの分子の動的挙動について多くの有用な情報が得られた。とくに,最低励起一重項状態は基底状態と同じ全対称(に近い)の対称性をもっているため,吸収やけい光の測定からは情報を得ることが困難な励起状態であり,この点でピコ秒時間分解共鳴ラマン分光法は極めて有用な手法である。最低励起一重項状態と基底状態からのラマンバンドについて,強度の時間依存性を比較すると,最低励起一重項状態から基底状態の高振動励起状態への直接の緩和が起き,それは50ピコ秒以内で完了することが明らかとなった。この測定で得られる基底状態からのラマンバンドは,室温での通常のラマン測定で得られるラマンバンドに比較して幅が広く,また非対称な形状をもっている。この事実は,基底状態の高振動励起状態に過渡的に存在する分子数がふえていることを意味する。また,生体内でのスピリロキサンチンについては,励起一重項状態から励起三重項状態が生成することが認められたが,抽出物については認められなかった。この事実は,生体内でスピリロキサンチン2分子が極めて近い位置に存在しており,励起一重項状態と基底状態とからいわゆるフィッション過程によって励起三重項状態が生成する可能性があることを示唆している。生体内スピリロキサンチンの励起一重項状態の緩和速度は,ベンゼン溶液中でのそれよりも速い。これは,生体内では上記のような緩和過程の他に,バクテリオクロロフィルにエネルギ-を渡すことによる緩和過程も存在していることに対応している。以上のような実験結果に加えて,生体内スピリロキサンチンについては,コヒ-レントスト-クスラマン散乱が観測された。これはやゝ異常な結果であるが,生体試料溶液が若干のにごりをもっており,これによって位相整合条件が見かけ上成立していないような場合でも,コヒ-レントスト-クスラマン散乱が観測されたものと考えることができる。 2.生体内及び抽出されたカロテノイドにおける振動緩和 上記の研究で用いたのと同じ生体内カロテノイド試料とベンゼン溶液について,ピコ秒時間分解アンチスト-クスラマン散乱を測定した。このアンチスト-クスラマン散乱は,励起一重項状態からの緩和によって生成する基底状態の高振動励起分子に由来するもので,その散乱強度の時間依存性から励起一重項からの緩和速度と基底状態における振動緩和の速度に関する情報が得られた。ベンゼン溶液中では,アンチスト-クスラマン散乱強度はレ-ザ-パルス光で励起後約10ピコ秒で最大となり,その後減衰するが,その減衰速度は約15ピコ秒である。生体試料については,全体の傾向は同様であるが,最大強度に達するまでの時間がベンゼン溶液に比べて短く(約8ピコ秒),その後の減衰速度はほぼ同じである。このような結果は既に得られた励起一重項状態からの緩和過程に関する知見と矛盾せず,カロテノイドの電子励起状態全体に関する描像をより明確化することに役立った。また,アンチスト-クスラマン散乱バンドのピ-ク波数を精密に測定すると,励起一重項状態からの緩和で生成する基底状態の高振動励起状態が振動量子数4以上のものであることが明らかとなった。今後,このようなアンチスト-クスラマン散乱の精密測定から,種々の分子について励起状態及び基底状態の緩和機構に関する多くの有用な知見を得ることができると期待される。
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