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宋代以降前近代中国の地方組織の変遷

研究課題

研究課題/領域番号 63450049
研究種目

一般研究(B)

配分区分補助金
研究分野 東洋史
研究機関筑波大学

研究代表者

野口 鐵郎 (野口 鐡郎)  筑波大学, 歴史・人類学系, 教授 (20017726)

研究期間 (年度) 1988 – 1989
研究課題ステータス 完了 (1989年度)
配分額 *注記
3,400千円 (直接経費: 3,400千円)
1989年度: 1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
1988年度: 2,200千円 (直接経費: 2,200千円)
キーワード都保制 / 社制 / 里甲制 / 保甲制 / 自然村落 / 行政村落
研究概要

明の洪武14年制定の里甲制とよばれる地方組織は、『大明会典』などのような中央政府制作の書籍による限り、きわめて整然としたものであった、と受けとれる。しかし、県以下の地方単位を詳細に点検することによって、それらが分割・帰併されていることを知り得る。
その例を、福建泉州府徳化県についての概要を示せば、次の如くである。宋代において、徳化県は5郷によって編成され、総じて10里9団の19組織を基礎としていた。里甲制編成時には、1隅8里10団1都の計20組織とされ、31年後の永楽10年時には、1隅4里8団の計13組織に、さらに50年後の天順6年時には、1隅2里6団の計9組織に整理され、清の康煕18年時には、1隅7里の計8組織とされ、8組織が39社を分管した。その内部に目を向ければ、宋代に3里で構成されていた帰徳郷は、洪武14年には、うち2里が坊隅に合わされ、他の1里は隣接の永寧郷に、永春州安仁里とともに併合されて消滅した。このような組織数の減少は、人口の減少に応ずるものと思われるが、その詳細な相関については、まだ検討し得ていない。
他方、江蘇応天府句容県のように、年代を追って所属単位組織が増大する傾向を示す地域もある。句容県では、元代に16郷29都61里81村であったが、明時には16郷29都192里427村に増大し、清時には191里433村となって、主に基底の部分での増加を示している。
この研究は、以上のような県以下の単位組織の増減をあとづけることを目的とするが、それを一覧表化することによって、人口の移動などの社会の動態の観察に資する部分が大であると考えられる。但し、上記の一覧表化の試みについて、きわめて大きな困難を感じている。

報告書

(2件)
  • 1989 実績報告書
  • 1988 実績報告書

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公開日: 1988-04-01   更新日: 2016-04-21  

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