研究課題/領域番号 |
63510002
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
哲学
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研究機関 | 三重大学 |
研究代表者 |
松井 良和 三重大学, 人文学部, 教授 (60086163)
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研究分担者 |
斉藤 明 三重大学, 人文学部, 助教授 (80170489)
清水 正之 三重大学, 人文学部, 助教授 (60162715)
山岡 悦郎 三重大学, 人文学部, 教授 (90115741)
伊東 祐之 三重大学, 人文学部, 教授 (50011359)
武村 泰男 三重大学, 教育学部, 教授 (20024432)
小川 眞里子 三重大学, 人文学部, 助教授 (00185513)
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研究期間 (年度) |
1988 – 1989
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研究課題ステータス |
完了 (1989年度)
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配分額 *注記 |
2,100千円 (直接経費: 2,100千円)
1989年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
1988年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
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キーワード | 事 / 理 / 無礙 / 本質 / 存在 / 事実 / 言 / 論理 / コト / コトワリ / 言葉 / 理事無礙 / 事々無礙 / 道 / 法則 |
研究概要 |
1.「事」と「理」を最初に対概念として用いた華嚴学において、「事」は日常的な事象を指し、「理」は縁起の理法を指していた。そして事の外に理があるのではなく、理はすなわち事にほかならないという華嚴数の世界は「理事無礙法界」と呼ばれた。しかし何故に理と事が「無礙」であるか、ということの哲学的解明はむしろ後の宋学における「體用」の論理を待たねばならない。ところで「體即用、用即體」というこの考え方は、或る研究者の説によれば、シナ語において名詞と動詞の区別がなく、一つの語が主語にも述語にもなりうることに因すると言う。しかし主語と述語の区別が明確な印欧語の世界においても、ヘ-ゲルは主語と述語を対等にし、両者は根源的一者に含まれていた本質と存在が展開して別れた姿にほかならないと考えた。ただし本質は存在に「照り」(scheinen)、「仮象」(Schein)として「衒う」(scheinen)ことによって本質へ<照り返る>という「反照」(Reflexion)の運動が起こっている。ここに「無礙」と「反照」の微妙な差異が存する。 2.本居宣長は大和言葉の本来の意味を探求して、固有名詞を普通名詞へ還元するに至った。たとえば「水無瀬川」(ミナセガワ)は大和盆地の川の名であねが、もともとは「水が涸れて干上がった川」という意味の語であったと言う。すなわち彼は「言」を「事」として解読したのである。 3.われわれは更に、「言」と「事」の関係についてはウィトゲンシュタインなどの言語哲学を検討し、「理」については古代シナ哲学のうちにその淵源を尋ね、また「言」、「事」あるいは「理」をめぐって自然科学、論理学や倫理学においてどのような問題が生ずるかを見届けたいと思う。
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