現行の「尚書」五十八篇のうち、漢代より伝わったいわゆる今文系の諸篇を除いた二十五篇の、古文系統の部分は、まず宋代の呉〓・朱熹などによって、それが後世の何者かによる偽作ではないかとの疑いがもたれた。その後、元・明と代々の学者の中には、さらにその疑惑を深めていった人もいる。しかし、そのいずれもが今文・古文の両系統の表面的な文体上の差異に注目したに止まり、その内容にまで立ち入って、研究した例は殆どない。ところが明代も中期以後になると、後にいわれる考証学的な気風が起り、一層緻密な研究方法がとられるようになった。そして「尚書」に関しては梅〓がその著「尚書考異」によって、古文尚書二十五篇は、先秦時代の各書物の中の文句の断片をとり集めて作られたものと、ほぼ完全に考証した。そしてその作者として西晋の皇甫謐の名を挙げている。 本研究では、梅〓の学問が先行する諸学者のそれと、どのような点で異るのか、また梅〓自身の内部において、その初期と後期ではどのように学問が変化したか、あるいは梅〓の学問に兄の梅鶚の影響はあるのか、などに注目した。その結果、梅〓の著述とされるもう一つの「尚書譜」には、いま仮に甲本・乙本と名づける二種のものが流布していたこと、後者は前者より一層内容が詳密になっていること、それが発展して「尚書考異」となったこと、また彼の学問には、今ではその著作が全く伝わらない兄の梅鶚の見解が反映していることなど、多くの新知見を得た。また、清朝考証学の最高峰の一つとされる閻若〓の「尚書古文疏証」の中に、多くの点で梅〓の説が取り入れられることを見出し、明代の考証学的研究の成果は、決して無視することができないものであると判明した。本研究はさらに偽古文尚書そのものの作者の特定、及びそれが作られた目的にまで考えを及ぼし、近くその成果を発表する予定である。
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