研究課題/領域番号 |
63510028
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
倫理学
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研究機関 | 同志社大学 |
研究代表者 |
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研究分担者 |
沖田 行司 同志社大学, 文学部, 教授 (20131287)
吉田 謙二 同志社大学, 文学部, 教授 (50066247)
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研究期間 (年度) |
1988 – 1989
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研究課題ステータス |
完了 (1989年度)
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配分額 *注記 |
1,500千円 (直接経費: 1,500千円)
1989年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
1988年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
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キーワード | 社会的本質 / 人間的ロゴス / 普遍的人間 / 情 / 仁愛と博愛 / もののあはれ / 共感と寛容 / 絶対的投企と真心 / 共感 / 絶対的投企 / 善の選択と実現 / ケアリング / 真心の回復 |
研究概要 |
「愛」は西洋古代において人間的本質の発露として捉えられる。アポロン的生の象徴である。しかし、ディオニソス的生の滅びと再生への希いは、中世において罪のあがないによって人間に保証される人格神の「愛」へと展開し、神と人間との、また、人間と人間との「契約」が「愛」の実践を迫り、それ以降、「博愛」へと結実した。一方、「もののあはれ」と表現される、自然を信頼して在る人間の生き様に「愛」の基盤を見いだす国学は、共感と寛容を原理とする人間相互の係わりによって、朱子学の「仁愛」に日本的意味を付与した。これは佛教が日本化する際に作用した「情」の論理的整備でもあった。 かくして、「博愛」は「仁愛」の思想性を基礎として日本に受容され明治初期のキリスト者たちの実践するところとなった。しかし、一般には、「博愛」は信仰の義認を欠いた、佛教の「慈悲」と変わらない観念として日本に流布している理由もまたそこにある。だから、「仁愛」は人間の自然性を前提とする真心を持った人間同志の共感と寛容に基づき、「博愛」は、道徳的責任の主体として把握される人間の本質を「自由」と考えるときの、神の意志に従う良心によって統制される自由の証しであるから、「博愛」と「仁愛」は「愛」の人間的な拡がりにおいて相互に関係する概念であり、「博愛」の側からいえば、「仁愛」は人間の善意を信じて、強制されることなく他者に自発的に与える寛容であり、「仁愛」の側からいえば、「博愛」は共感される、人間にとって「あるべきわざ」である。 たしかに、「博愛」は現今の欧米で種々の社会的な福祉行為、組織、制度として顕現している。しかし、「博愛」を一つの理念として建設されたアメリカ合衆国の開拓時代に、神との契約から除外されていると考えられたインディアン、黒人たちの辿った運命を忘れることはできない。
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