本研究は、従来の国学研究がともすれば付随的にしか取り上げなかった、国学の受容・普及という問題を設定し、一定の社会階層に受容された国学が更に広範に普及していく過程に着目することにより、国学学習者層の量的拡大及び質的多様性などの視点から、実証的考察を進める点に、教育史的研究としての独自性を見い出している。具体的には、国学学習者の集団化の形態として国学の「社中」をとりあげ、社中をめぐる諸問題について検討をすすめることとした。 国学が受容され普及していく過程は、「学び」が主体的に把握され、学習のための「場」が自主的に組織化されていく過程をたどるものといえる。社中はまさにそのような組織化の一形態であった。では、そのような社中は、1.一体いかなる意図のもとに、どのような目的をもって形成されたのか、2.形成された社中を維持し存続させていくためにいかなる活動が展開されたのか、3.その活動は社中の成員の、生活者としての日常といかなる関わりをもつものであったのか、このような問題を具体的な課題として研究に着手した。 研究の実際としては、課題の性格上、必要資料の調査及び収集に多くの日時と経費とを充ててきた。それと併行して、収集した資料の分析を進めてきた。その一つとして「本居宣長の名古屋地方門人と社中の形成」をめぐって、近世における教育と分化の状況の中に、その意義を位置づけた論文を執筆した。(『岡山大学教育学部研究集録』第80号、1989年3月刊)。名古屋社中においては、主体的な学びへの取り組みと学習活動の展開がみられたが、その場合、学習者の嗜好に応じる分化的教養を身につけるという、いわば自己閉鎖的性格をぬぐいきれなかったことなどを明らかにした。今後更に、名古屋社中の事例を基にして、その他の社中の分析をし、比較検討を進めていかねばならない。
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