日本産業革命の研究は、多くの実証的・理論的成果があるが、1960年代の到達点が大石嘉一郎編『日本産業革命の研究』とされる。1970〜80年代の研究動向としては、産業革命に関わる日本国内市場をどう見るかという点が問題となり、この観点よりなされた研究成果が山口和雄編『近代日本の商品流通』である。そのなかで特に国内市場の発展を追求するためには、在来産業ことに醸造業の研究が不可欠と指摘されている。(林玲子「銚子醤油醸造業の市場構造」) 今回は、このような研究状況の課題に応えるべく、在来醸造業の典型である醤油醸造業について、明治期から大正・昭和初期にかけての歴史的変革を明らかにするため、野田・銚子・龍野・小豆島・児島・志度等で関係史料の収集を行った。 その成果の一部は、次のようなものである。 1 備前醤油は、天保年間にすでに「十二水」(大豆・小麦の合計量の十二割の水を混入する)という水分の多い諸味で醸造された。また、白米を甘酒化し、これを諸味に混入すれば「十三水」が可能であるとする。龍野円尾家とほぼ同様で、江戸末期の備前・龍野醤油造りが発展した背景には、この技術的先進性がある。 2 志度では、明治38年、大豆粕使用による原価低廉化策に成功した。 3 湯浅では、明治42年以前に醤油速成法が考案され、1ヵ年余を要した醤油諸味醸造がわずか2ヶ月以内に短縮され、しかも従来より良質の醤油が生産された。 4 明治20年代に技術革新をスタートさせた野田醤油は、やがて流通面の支配にも乗り出し、大正15年、従来の成行販売や指値委託をやめ値極取引を行い、運賃を会社負担とし、価格を全国同一にするなど、「醤油界に大衝動」を与えた。大正15年は、画期的な年である。
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