研究課題/領域番号 |
63530045
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
経済史
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研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
長島 修 立命館大学, 経営学部, 教授 (60121612)
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研究期間 (年度) |
1988 – 1990
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研究課題ステータス |
完了 (1990年度)
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配分額 *注記 |
2,000千円 (直接経費: 2,000千円)
1990年度: 400千円 (直接経費: 400千円)
1989年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
1988年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | 戦時経済 / 重化学工業 / 鉄鋼業 / アルミニウム精錬業 / 統制経済 / アルミニウム / 新興財閥 / 企業 |
研究概要 |
3年間の研究では、重化学工業の代表的な企業及び産業の資料を収集し、戦時下の重化学工業の発展と限界を明らかにした。収集した資料は、鉄鋼業、アルミニウム精錬業、自動車産業、電気機械産業、造船業など各種の産業分野にわたっている。収集した資料の分析と論文への成果発表は、鉄鋼業、アルミニウム精錬業であるが、今後順次収集した資料の分析によって他の産業分野の研究の成果も発表してゆく予定である。 鉄鋼業では、代表的な民間鉄鋼企業である日本鋼管と特殊鋼産業の分析をおこなった。同社の高炉は、1936年に実現するのであるが、さらに2基的の高炉建設とト-マス転炉を導入し、屑鉄の使用を削減する措置をとった。ト-マス転炉は、戦時下屑鉄供給が制約されていた下で、要請に見合って十分な活躍をした。しかも、ト-マス転炉は、戦後のLD転炉の技術の前堤を作り上げる役割も果したのである。直接的兵器素材となる特殊鋼は、戦時中の軍需への依存の深まりとともに販売、原料供給、資金調達の面で国家的補助を受けて急成長したが、44年後半には原料、労働力面の制約を受けて生産は急減した。 アルミニウムは、国産原料、国産技術で出発したが、技術及び原料供給の制約条件を突破することができず、日中戦争前後には、バイヤ-法へ転換するのである。国産原料、国産技術によるアルミニウム生産は、バイヤ-法への転換に際して、技術面での習熟効果を発揮したのである。政府は、乱立する国内メ-カ-を統合するために日本軽金属の国策会社としての発足を計画するが、既存民間企業の反対で一民間会社となり、戦時統制は政府の計画の挫折の上に激しい企業間競争を残したままとなるのである。
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