本研究は当初、3年の期間を予定していたが、長期の在外研究が突然決定したため、計画の単年度への調整を余儀なくされた。すなわち、まずこのテーマに関する詳しい文献調査と文献目録の作成を行った後、帝政末期のロシアにおける都市への農業労働移動の性格に課題を限定して、研究を進めた。この問題を考える場合、次の2点はとりわけ重要な意義を持つ。1.農奴解放後、急速な工業化政策と、共同体の存続をはかった農業政策及びプロレタリアートの形成を阻止しようとした労働政策との間に、顕著な不整合が生じたこと。2.後進国ロシアにおける工業化の強行が、逆に農民の共同体志向を強化する傾向をもっていたこと。このため、19世紀後半のロシアでは、工業化による労働需要の高まりにもかかわらず、農村からの労働移動に対して制度的な制約が生じ、労働市場及び労働組織にいくつかの独自な「歪み」が現われた。例えば、在村工場の増大、工場労働者内での農民出稼ぎ者の高い比率、農繁期における帰村慣行、労働移動を制約した国内パスポート制、税・買戻金支払いの連帯責任制の結果生じた、工場主と共同体との雇用交渉等がそれである。 こうした労働者の「農民的性格」は、主に次の三基準で検証できる。1.工場労働者の社会的出自、2.営農及び農外就業のパターン、3.共同体員としての工場労働者の土地保有及び税負担の有無。これまでの私の研究では、世襲の工場労働者は確かに増加傾向にあるが、全体として彼らもその多くは何らかの形で農村とのつながりを持ち(在村兼業や出稼ぎ等)、完全な脱農(挙家離村)を経たものは極めて少ないことがわかった。問題は最後の共同体との関連であって、この構造を検討すれば、後の革命・内戦期における工業都市人口の激減の経済史的背景や、それを通して帝政ロシアの都市化や資本主義的工業化の脆弱性が明らかになってくるであろう。
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