1988年度はアメリカ国立公文書館およびイギリスのパブリック・レコ-ド・オフィスにおいて収集した資料の分析、および旧日本軍の生物兵器部隊関係者の面接調査を主に行った。 アメリカの資料によって、朝鮮戦争開始の数年前から、生物兵器の使用に積極的な集団が存在したことが明らかとなった。彼らはたとえ試験的であっても生物兵器を使用したい、すなわち屋外実験的なことだけでも是非行いたいと考えていたことが後づけられた。 旧日本軍の生物兵器部隊関係者の面接調査においては、旧日本軍関係者に対するアメリカ占領軍の調査の状況を聞くことができ、それによってアメリカ側の関心が穀物・植物への生物・化学・毒素兵器の使用にあったことが推測できた。 1989年度は、アメリカ国立公文書館において収集した資料の分析および旧日本軍の生物兵器部隊関係者の面接調査を主に行った。 1989年夏に入手した資料を通じ、アメリカ軍が1944年から45年にかけて、報復のための化学兵器使用のシナリオを持っていたことが分かった。この時の準備状況を明確に把握することで、アメリカ軍がどんな準備の下で生物化学兵器を使用しようとするかが分かる。現在この時の準備状況と、アメリカ軍が朝鮮戦争時に生物兵器を使用したという非難前後の状況とを比較検討している。 1947年のアメリカ軍の文書によれば、金沢で旧日本軍の人体実験標本を多数入手している。この真偽を確認するため、石井部隊から1944年に金沢医大に転任した医学者に関して面接調査を行い、確認した。
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