研究領域 | こころの時間学 ―現在・過去・未来の起源を求めて― |
研究課題/領域番号 |
25119004
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
池谷 裕二 東京大学, 大学院薬学系研究科(薬学部), 教授 (10302613)
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研究期間 (年度) |
2013-06-28 – 2018-03-31
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キーワード | 海馬 / 時間 / 記憶 / 睡眠 |
研究実績の概要 |
記憶が留まらないと時間は停滞する。つまり、記憶は「こころの時間」の原泉と言える。海馬長期増強(long-term potentiation, LTP)は記憶の素子である。その一方で、記憶は海馬に長期間保持されない。これは、LTPを消去する自発的なプロセスが海馬内に存在することを示唆している。LTPを消去する機構として、長期抑圧(long-term depression, LTD)や脱増強(depotentiation)といったシナプス抑圧が挙げられるが、これらがどのようにして自発的に誘導されるのか、根源的な問いであるにも関わらず明らかになっていない。我々は、海馬鋭波(Sharp wave、SW)が発生する状態では海馬神経回路にシナプス抑圧が誘導されるという仮説を立て、検証を行った。生体マウスの海馬CA1にシリコンプローブを埋め込み、局所場電位を記録した。マウスに新奇環境を探索させ、その前後の徐波睡眠中に発生したリップル波を記録した。頻度及び強度について解析したところ、ともに上昇し、時間とともに元の状態へと戻る傾向にあった。また、この減弱作用はNMDA受容体阻害薬であるMK801によって阻害されたことから、徐波睡眠時に海馬でシナプス可塑性が生じており、SWの発生に影響を与えていることがわかった。同様の結果が海馬の単離スライス標本からも確認されたことから、SWの発生頻度は、海馬内で自発的に生じる可塑性によって調節されていることが明らかになった。本研究から、SWが発生する状態において海馬にシナプス抑圧が誘導されることが明らかになった。また、この抑圧が誘導される結果、記憶に関連しないニューロンの活動が選択的に抑制されることが示された。このような自発的プロセスにより海馬から大脳皮質へ送られる情報のシグナル-ノイズ比が上昇することで、精度の高い情報処理が実現されていることが示唆された。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
海馬の重要な役割の一つに、SWによる大脳皮質への情報の転写がある。SWは海馬CA3で発生して、大脳皮質に伝わる神経活動であるが、本研究ではこころの時間の発生を追究する過程で、SWのもう一つ別な重要な役割を見出した。それがSWがLTDを誘導するという点である。これは同研究分野では画期的な発見であり、この仮説を追究すべく多くの検証実験を行った。その結果、「研究実績の概要」に触れた内容に加えて、SWが記憶痕跡の精緻化を行っていることも合わせて見出した。具体的には、LTDが誘導されることによって大脳皮質に送る必要のない不要な神経の発火が優先的に抑制される、すなわち「ノイズ除去」が起こるのではないかと仮説を立て、それを検証するために、SW中で発火するニューロン集団に着目した。Arc-dVenusマウスを用いて行動時に活動レベルの高かったニューロンを蛍光タンパク質dVenusでラベルした(dVenus(+) 群)。それらとdVenus(-) ニューロンのうち何%がSW中で発火するか(参加率)を求め、それが時間とともにどう遷移するかを検証した。dVenus(+)群の参加率は0分、40分の間で差が認められなかったのに対し、dVenus(-)群は両タイムポイントの間で有意な低下が確認された。この現象はD-AP5の適用によりブロックされたことからシナプス可塑性によって誘導されたものであると考えられる。以上の結果から、シナプス抑圧により、行動時に活動しなかったニューロンのSWへの参加が優先的に抑制されることが示唆された。こうした成果から、本研究プロジェクトは順調に進展していると判断された。
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今後の研究の推進方策 |
記憶が留まらないと時間は停滞する。つまり、記憶は「こころの時間」の原泉と言える。今後は以下の2つのアプローチを用いて、記憶による「こころの時間」の創成メカニズムを探索する。 1.海馬リップル波は脳波の一種で、過去の経験を長期記憶に脳内変換するプロセスと考えられる。しかし、なぜそのニューロンが選択され活性化されるのか、どのようにして情報圧縮されるのか、さらに、リップル波を制御することで内部時計の進行を操作できるかは未解明であり、本研究で追求する。とくに睡眠中のリップル波が海馬に長期抑圧を引き起こすことで、記憶容量の回復を誘導していることを証明する。 2.ラットやマウスなどの齧歯目には現在を起点に「どれほど過去か」を参照する記憶はできるものの、絶対時間を参照した「いつ」の概念の有無については見解が矛盾している。本研究では、過去の検証実験の欠点を修正することで、i)齧歯目には「いつ」の概念があるのか、ii)過去のイベントの脳内時間の前後関係を変更できるか、について探究してゆく。とくに薬剤によって忘れた記憶を呼び起こす研究を行うことで、時間を制御する。また効果が認められた場合には、ヒトにおいても薬物の作用を検討する。
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