研究分担者 |
太田 幸男 東京学芸大学, 教育学部, 教授 (20014847)
李 康承 忠南大学校, 文科大学, 副教授
宋 鎮豪 中国社会科学院, 歴史研究所, 副研究員
李 祖徳 中国社会科学院, 歴史研究所, 研究員副所長
山根 清志 福井大学, 教育学部, 助教授 (60134871)
田中 淡 京都大学人文科学研究所, 助教授 (90000306)
田村 晃一 青山学院大学, 文学部, 教授 (30082613)
杉本 憲司 仏教大学, 文学部, 教授 (90079020)
宇都木 章 青山学院大学, 文学部, 教授 (00082579)
坪井 清足 大阪府埋蔵文化財センター, 理事長 (00000464)
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研究概要 |
本研究は中国社会科学院歴史研究所との協力のもとに,日中両国の古代都市に関し,総合的な比較研究を行うことを目的とする。そのため調査団を歴史学・考古学・建築史の研究者をもって構成している。昭和59年予備調査。60年第一回調査(9・1〜9・30)。62年第二回調査(4・28〜5・28)。平成元年,天安門事件のため当初の計画を変更し,2回に分けて実施(10・29〜11・5)(平成2,3・26〜4・3)。この間,昭和63年8月17日より9月15日まで,中国の研究者5名を招き,北九州から奥州まで,諸遺跡・施設・建築物等を見学調査。京都・東京において研究報告会開催。平成2年も中国5名,韓国2名の研究者を招き,九州から東京近辺に至る諸遺跡・施設等の見学調査,及び京都・東京において研究会を開催する(8・26〜9・10)。歴史研究所との協議の際、中国側は調査の日数・調査団の員数を同等とすることを強く要望した。幸い三菱財団学術研究助成金を受けることができたため,昭和63年の中国5名,平成2年の中国3名,韓国1名の費用を,この助成金によった。 中国における調査は歴史研究所の尽力により,河南省澑池県仰韶村遺跡・湖北省黄龍県盤龍城遺跡等未開放の遺跡を含め,数多くの遺跡・施設を見学調査することができ,その地域は北京市,河北・山東・山西・陜西・河南・湖北省と広い範囲にわたり,新石器時代から隋唐時代に至る100余か所に上った。その他各地の博物館・考古工作所・大学等において多くの研究者と意見を交換して相互理解を深め,学術交流を進めることができた。中国・韓国からの招聘は2・1回に止まったが,見学調査した遺跡・施設・大学等は50余か所に上り,多くの研究者と交流した。李祖徳氏は総括研究会において,数次に及ぶ相互訪問が“お互いに啓発し,視野を広げ"る役割を果たし,“古代城市研究に積極的な作用を与えている"と評価している。日本側調査団にとってとくに印象的であったのは,鳳翔県秦陵鳳南1号陵園M1や始皇帝陵兵馬俑坑等秦の遺跡が,東方の国々に比して遥かに巨大であり,また雍城馬家庄宗廟跡の無数の犧牲坑の異様なことであった。また中国は詳細な地図を入手することができない。考古報告書等にも付近一帯の地形図の添付されていることは稀で,多くは見取図のみである。その上,丘・山等の概念がわが国と異なる場合もある。城市の立地や自然環境を考える上で,実地調査の必要性が痛感される。なお洛陽古基博物館は,洛陽付近で発掘された漢から宋に至る洞室墓を移築展示してある博物館で,この間の葬様式,建築様式の変遷を比較観察することが可能な類のない博物館である。 近年,わが国においても,中国においても,都市研究に対する関心が高まって来た。昭和63年本研究報告第一号に「中国古代城市関係文献目録」を付したが,中国においても『中国古代城市研究文献目録』(1987〜1989)が作成された。研究報告第二号で追加増補を予定しているが,目録の作成は論文の検索に便を与え,研究の一層の進展を計りたい。なお中国側の希望もあり,日中共同の古代都市研究史の論文集の刊行を実現したいと考えている。更に日・中,できうれば韓国も加えた良書の紹介翻訳も学術交流と研究の発展にとって重要である。さきに宇都木は北京大学考古学研究室編『商周考古』と翻訳し,『商周考古学概説』(燎原,1989)を刊行した。今回五井は李学勤『東周与秦代文明』を,姜鎮慶氏と共訳し,『春秋戦国時代の歴史と文物』(研文出版,1991)を刊行した。その際李氏は第二章都市と陵墓を新しく書き加えた。 日中協力による古代都市研究は漸く軌道に乗りかけたということができる。平成2年の訪中・訪日の折に,歴史研究所との間で,研究協力を継続していくことに合意したが,さらに韓国を加えて東アジアにおける都市史研究の発展に寄与したいと考えている。なお中国都市研究会では,明年より会の代表者を,平成元年度文部省派遣在外研究員として歴史研究所に赴いた東京学芸大学教授太田幸男氏とし,申請を継続したいと考えている。
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