研究分担者 |
DIRK Onne Wi ワーゲニンゲン大学, 植物園, 園長
WYBE Kuitert ワーゲニンゲン大学, 造園学研究室, 助手
HANS Heniger ユトレヒト大学, 生態学史研究室, 講師
松田 清 京都大学, 教養部, 助教授 (40027561)
園田 英弘 国際日本文化研究センター, 研究部, 助教授 (50027562)
中村 一 京都大学, 農学部, 教授 (20026397)
HENIGER Hans Lecturer, University of Utrecht
KUITERT Wybe Assistant, Agricultural University of Wageningen
WIJNANDS Dirk Onne Professor, Agricultural University of Wageningen
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研究概要 |
本研究の目的は17,18,19の3世紀にわたって行われた博物学とくに植物学上の日蘭交流の実態を調査することにあった。3年間における調査先,資料概要を各年別にまず列挙する。 第1年目:オランダ;ライデン大学図書館・ライデン大学植物園資料館:所蔵資料は、主としてシ-ボルト関係資料であった。当研究の対象とするのはシ-ボルト以前であるため,その後の詳しい調査は行わなかった。 アムステルダム熱帯博物館:17世紀後半のデルフト市長だったへンリクス・ダクエの博物コレクション。 ワ-ゲニンゲン農科大学:ヨ-ロッパ各国の17・18・19世紀の植物図譜・造園・園芸書コレクション。 スウェ-デン;ウプサラ大学図書館,植物園資料館:ツンベルク関係資料。ツンベルクが日本で採集した植物標本および日本との文通控え。 第2年目:英国;大英図書館:エンゲルベルト・ケンペル関係の資料。 大英博物館自然史部門(自然史博物館):ケンペル採集の日本植物標本。 ドイツ;ベルリン・プロイセン国立文書館:アンドレアス・クライア-関係の資料。 第3年目:英国,1,2年度にやり残したものの調査。 ドイツ;ミュンヘン・民族学博物館:18世紀の植物図譜。 1962年に日本にやってきたエンゲルベルト・ケンペルの資料が、大量にまとまって大英図書館に存在する。 この資料は、日本人の手によるものとしては部分的に参照されたことはあったが、全部を実際にあたって調査した例はなかった。この資料には彼が日本で購入した図書、旅行中の日記、スケッチなどが含まれる。我々のテ-マである博物学関係の情報はケンペル関係資料の全体にわたって存在するため,これらすべての資料をマイクロフィルムに撮影した。文書はドイツ語をはじめ,ラテン語,フランス語,オランダ語など各国の言語で書かれており,また符号のようなものも多いので,解読は研究期間内ではとうてい終わらず,まだ緒についたばかりである。しかし出島から外にでるのが難しいオランダ人が,どのように日本植物を手にいれたか,その一端が分かってきた。ケンペルはオランダ通事の息子と思われる日本人の若い青年にオランダ語を教え,植物判定の基礎を手ほどきして,彼を出島の外の手足として使って植物を集めた様子がわかった。後に彼が出版した『廻国寄観』の植物図や「植図図譜」の草稿はこのような日本人の情報提供者がいてはじめて可能でったのである。 ウプサラ大学には世界各国の植物学者とツンベルクとの間で交わされた手紙が残されていた。この調査を通じて彼のもとに世界中の植物・博物関係の情報が集まっていたこと,日本関係植物についての情報はすでに18世紀後半には担当の密度に達していたことがわかってきた。 アムステルダムのヘンリクス・ダクエのコレクション資料の中には日本産の小動物・昆虫の彩色図が残されている。その図のサインから17世紀の終わり頃から18世紀の前半にかけて出島にいたウィレム・ワ-ヘマンスによって採集されたものであることがわかった。日本産の昆虫類の紹介は17世紀後半には正確な形態及びかなり実物に近い色彩で確実に存在することが確認された。 オランダ東インド会社の日欧交渉史に関する研究は、これまでのように政治史・外交史の文脈だけでなく、博物学上の交流についても行う必要を再確認した。具体的なモノが与えた文化への影響という視点をとれば,鎖国のもとでも,日欧間にきわめて太く豊かなパイプが存在したということが調査全体から言えるからである。 なお,17世紀の出島の商館長であったクライア-の部下,園芸家・庭師のゲオルク・マイスタ-らが日本人に描かせたと思われる植物図譜がオックスフォ-ド大学植物園に、またポ-ランド・クラクフ市に存在することが最終年に判明した。今後の調査課題である。
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