研究課題
総合研究(A)
4次にわたる滋賀県雪野寺跡の発掘調査をとりまとめ、それを踏まえた研究の総括をおこなった。その成果として研究成果報告書『塑像出土古代寺院の総合的研究』を1992年3年に発行した。その中で研究代表者である小野山節は、塑像の盛行年代について、滋賀県雪野寺跡出土資料を中心に考察を加えた。その結果、日本古代の塑像は白鳳時代から天平時代にかけて作られたものであること、そして、初唐様式の特色をしていたものが、順次日本化していく過程が辿れることを明らかにした。猪熊兼勝は、塑像の製作技法と用法を検討した。雪野寺跡出土塑像を塔本塑像であろうと性格付け、日本の塑像の製作技法は木骨を用いそれに藁を巻き付けて粘土をのせる方法であり、雪野寺跡では合せ笵が用いられている可能性があることを指摘した。岡村秀典、菱田哲郎、高橋克壽は雪野寺跡の発掘調査を実施した。戦前に調査がなされている塔跡の再発掘では、低い側を二重に化粧した基壇をはじめて検出している。塑像の良好な資料は得られなかったが、他の地点の調査結果からすれば、塑像は本来塔に伴うものであったことが判断された。このほか、講堂及び北西建物の二つの礎石建物も確認された。後者からは多くの土器類が出土しており、その中に三彩などの施釉陶器が含まれていることから、雪野寺が地方古代寺院のなかでも有数の存在であったことが傍証された。また、山寄せに建物が造られていることは地方寺院としての個性であり、古墳築造の伝統が活かされていることが指摘された。この雪野寺跡に所在する龍王寺の梵鐘を調査した五十川伸矢は、細部の形態や製作技術からそれが奈良時代の作品であることを示した。丸山竜平は日野川中流域の白鳳期寺院と古墳について考察し、雪野寺の立地するその地が古墳時代以来の地域の中心であったことを明らかにした。以上の報告書記載の業績に加えて、清水芳裕は塑像の四肢の断面の観察を行っている。