研究課題/領域番号 |
01450005
|
研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
濱井 修 東京大学, 文学部, 教授 (00012360)
|
研究分担者 |
山田 忠彰 東京大学, 文学部, 助手 (10220386)
関根 清三 東京大学, 文学部, 助教授 (90179341)
|
キーワード | 旧約聖書 / アハバ- / キリスト教 / 愛 / M・ヴェ-バ- / ヘ-ゲル / キルケゴ-ル / 倫理学 |
研究概要 |
精神科学としての倫理学の視点からキリスト教的な愛の思想を包括的に検討するための基板を確立すべく、本年度は、古代から現代までのキリスト教的愛の思想史の通観を行なった。 まず、関根清三が旧約聖書における「アハバ-」の意味論的研究に着手し、「創世記」の物語およびいわゆる記述預言者の言説に留目することによって、「背信にもかかわらず、相手を許す愛」の原型を浮彫りにすることを試みた。 関根の研究を補完するかたちで、濱井修がM・ヴェ-バ-による古代ユダヤ教やパリサイ人の研究における愛の問題の探究を吟味・検討し、合わせて近世宗教改革の時代のキリスト教倫理の内実を、ヴェ-バ-の視点を援用しつつ解明した。 これらの研究で明らかにされた旧約思想ならびに近世のキリスト教思想を、いわゆる初期ヘ-ゲルが近代的なあり方での愛の問題にどのように止揚・統一し、さらに展開させていったかを、山田忠彰が追認し、後期ヘ-ゲルの思想をも射程に入れて、ヘ-ゲルの思想体系全体における愛の宗教としてのキリスト教理解の位置付けを考察した。 さらに、この考察を踏まえて、関根が、ヘ-ゲルによる理解を批判しながら、キリスト教の愛について思索を深めたキルケゴ-ルの思想を検討した。 このような愛の思想の歴史的通観において、代表者・分担者とも痛感させられたのは、「イエス・キリスト」という表現それ自体がひとつの「問い」であるということであり、また、旧約聖書からイエスを経て連綿として西洋倫理思想史の根幹を流れる「背信にもかかわらず、相手を許す愛」の構造のゆるぎなさである。以上の研究成果は、各人の既発表の諸論考に直接的あるいは間接的なかたちで生かされている。
|