わが国の戦後の労働行政は一貫して労働省本省の強力な指導のもとで、外国をモデルとした諸政策が、地方レベルで次々に実施されてきた。地方レベルの労働行政はその時々の中央の政策を実施するためにその都度対応してきており、地方レベルの独自性という観点からは、現在までその特徴を見出せなかった。労働基準行政は国の直轄機関が行うのに対しその他の労働行政は県の労働部を通じて実施するということだが、労働省本省と地方自治体との意思の疎通の良し悪しが地方行政に大きく影響を与えることが考えられた。県庁の官僚構造が有している体質や政策と労働省の政策が調和し、同期化することは必ずしも容易ではないように感じられた。労働行政の各種施策は受け皿側も同様の縦割り組織になっていて、労働者個人の立場からみると極めて複雑になっていて、施策のメニュ-全体がなかなか見渡せない。 次に労働行政と労働組合との接点については労働組合代表が審議会などにどの程度参画し、発言しているかを中心にし調査したが、まだ全体像を把握できていない。 労働行政は主に企業経営側を通じて各種施策として実施されており、企業家の経営戦略の枠内で労働問題が解決されている。西ドイツにおけるような労使の代表、つまり使用者団体と労働組合(企業外レベル)との間の合意により労働問題を自主的に解決していく試みが殆ど観察できなかった。
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