1.新約聖書『使徒行伝』17章にあるパウロのアテネにおける演説をキリスト教形成期に、弟子達が自らの信と実践を如何に言葉にして言い表わすかの一つの試みとして分析し、(イ)そこにある基本的な筋はギリシアの宗教的態度を、神を取引可能な相手として低く見積もることへの批判と、それに代わる態度としての、神とのコミュニケ-ション回復を目指して、神を探求することの勧めであること、(ロ)演説の最後に見出されるイエス理解はロマ書のパウロ思想と一致するが、現行の解釈はこの点を正しく理解していないこと、を見出した。 2.2世紀のギリシア教父ユスティノスのソクラテス理解はアテネのパウロ演説と多くの点で一致するため、両者には何らかの連関があると推定し、さらにここから、使徒行伝の著者が、ソクラテスのアテネにおける裁判と弁明演説を念頭に置きつつ、該当部分を構成した可能性を認めるに至った。 3.これらからユスティノスに先だって、既にソクラテス的ギリシア哲学を受容しつつ、キリスト教の自己理解が進められていた可能性が浮かび、従ってその〈言葉〉理解も、単にヨハネ的なロゴス・キリスト論のみならず、パウロ的系譜においてもそれなりに(ことに語り伝える際の言葉の問題として)深められていたことが推定される。 4.以上の検討と並行して、中世論理学ことにオッカムの唯名論は、「言葉による世界創造」というキリスト教の伝統的主張の一展開として位置付けられることを割出した。この場合の「言葉による」はロゴス・キリスト論の系譜に位置するのみならず、3で指摘したコミュニケ-ション(語り伝える)理解の流れにも位置付けられる。 5.これらの点から、今後パウロのコミュニケ-ション理解の系譜に更に注目し、その中世論理学への影響関係を探ることが有効であろう
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