本研究は、ボ-アが量子力学の解釈として提出した相補性概念を、その哲学的インプリケ-ションが明らかになるように、現代哲学における実在論-反実在論の対立というコンテクストのなかで考察するものである。考察の結果は、「相補性の哲学的考察」と題する学位請求論文としてまとめた。基本的な論点は、フォン・ノイマン流に定式化された観測問題を仮象問題と見なす、というのが相補性の哲学だということである。しかるに、ベルの不等式の実験的反証は、相補性の立場で承認し得る以上の「分離不可能な量子状態」の実在を示唆する。だが、もしも量子状態が実在するならば、観測問題の発生は負荷避である。したがって、観測問題の存在事態が相補性概念の限界を画す。相補性の哲学が将来どのような評価を受けるかは、不可逆性の理論が今後いかなる進展を見せるかにかかっている。(以上平成元年度) 宇宙全体を量子的系と見なす場合には、量子力学の解釈・観測の問題はいっそう深刻になる。宇宙の外に観測者が存在することはないから、波束の収縮は実現しない。宇宙はただ一つしか存在しないから、波動関数の確立解釈は意味をなさない。エヴリットが提唱した多世界解釈はがんらい、観測者を含めた全宇宙に量子力学が適用されるべきことを意図している。この解釈は、ドウィットやホ-キングなどの支持者をもつが、SF的である。しかし、多世界解釈からそのSF的側面を取り除くならば、はたして宇宙論に役立つであろうか。これらの問題は、次年度の研究に委ねる。
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