清代考拠学における経書解釈の在り方を展望するための予備的考察として、乾隆・嘉慶期における典型的な考拠学者とされる銭大〓を中心に研究した。かれはまだ清朝史学を代表する学者とも目され、しかも経書解釈学として成立した考拠的研究方法を史学に移行させたといわれる。そこで主として『十駕斎養新録』・『潜研堂文集』に現れる経書解釈の分析を通して、その経学的認識のかたちを探るとともに、経学と史学とを一体とする考え方も検討した。 すなわち銭大〓の経書解釈は、漢代の訓詁を尊重するとともに、古代漢語の音韻論的分析にもとづく実証的な方法に依ることを確認した。しかもその独自性を示す古代漢語における声紐研究と双声を軸とする転音理論の根柢には儒学的形而上学による価値づけがあり、その経書解釈は単なる実証的な手続きによるだけではなく、儒学的認識が支えとなっていた。このことから、銭大〓みずから経学と不可分であるとしていた史学研究は、その背景にこの儒学の形而上学があったからこそ、今日まで高く評価されるその実証性が支えられ、しかもその積極的な展開が可能となったことを明かにした。 引き続いて、以上の銭大〓の経書解釈についての解明を基礎として、銭大〓の考拠についての理念や見解が、考拠学者らにどのように影響したかを、広く戴震・段玉裁・玉念孫・王引之らの著作を初めとする多くの学者らの文集や関連文献を通して調査し、乾嘉期の考拠学を支えた経書解釈における認識のかたちを追求してゆく。
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