前年度の銭大〓にたいする研究成果を受けて、まず銭大〓の考拠学のあり方について纏めた。銭大〓は、漢儒の詁訓を古音(古代漢語の音韻学)によって分析しつつ、実証的な方法論のもとに客観的な経書解釈を展開したが、その考拠の根柢には、古音、特にその双声が儒学的意義をもつとする認識と、詁訓は単に聖賢の時代に近い漢儒の注解としての理由だけではなく、詁訓は「古訓」と重なり、聖賢の遺言としての意義をもつ両義的な存在であるとの認識があることを明らかにした。ここにかれの考拠学における実証性は、訓詁ー言語という客観的・合理的な手段による解釈手続きによるが、それはすでに実事求是にとどまらず、儒学的な形而上学的認識を背景としていたのであることを見た。 こうした銭大〓の経書解釈にたいする理念は、戴震からの継承であり、これはさらに王念孫・段玉裁・王引之などへの影響となって乾嘉期の考拠学の解釈理念を形成した。したがってこの解釈理念の乾嘉期における展開について考察を深めることとした。従来、考拠学の実証性を示すとされた実事求是が、その実証主義的であるが故の限界を露呈することになり、文献に現われない資料をも包摂して解釈してゆく、いわゆる『史記』五帝本紀賛の「好学深思」が実事求是を補完する重要な認識のかたちとして考拠学のなかで位置付けられていたことを考察した。さらに銭大〓や王念孫の考拠にはかれらの見識をもって解釈するケ-スが多いが、これは『孟子』万章上における「以意逆志」によって示される。この「以意逆志」は、全体と部分との間の解釈の循環問題を潜在させるものでもあり、儒学的な関心や儒学の道にたいするあらかじめの理解を全体とし、経書の記述を部分とするかたちで、儒学的認識が考拠学における経書解釈の基礎となっていたことを示す重要な理念である。しかしこれまでの考拠学研究のなかではほとんど注目されていないものであったが、これを確認しえたことは、考拠学を理解するうえで意義があることと思われる。
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