よく知られているように『十住毘婆沙論』(以下『論』)には『般舟三昧経』についての言及がある。このことはひとつに『般舟三昧経』の直接の引用があることと、もうひとつは般舟三昧経の思想に言及しているものがあるということである。三昧経典一般の言及については別の機会(『藤田記念論文集』参照)に論じたごとく、『如来智印経』の引用例にも見られるように、『般舟三昧経』だけが三昧経典として引用されているのでなく、『論』には三昧経典の引用が深く関連して成立していると思われる。ここではその中間報告として『般舟三昧経』を取り上げた。 まず『論』の中で『般舟三昧経』を引用している品は、助念仏三昧品第二十五、解頭陀品第三十二余の二ケ所、また『般舟三昧経』に言及している品は、入初地品第二、分別法施品第十三、念仏品第二十、護戒品第三十一の四ケ所と思われる。つまり直接の引用と思想の言及ということである。ここでまず第一に直接の引用について言及するならば、現在の漢訳四本と『論』引用との関連性について、漢訳四本との比較でなどの経典とも相応するようには見えず、むしろ相互の不一致が目立つと言ってよいであろう。あえてその趣旨の一致という点からは『論』と賢護分との類似であろうか。従って『論』における『般舟三昧経』の場合は経典の成立史にかかわるような重要な点はないと言える。 第二に思想の言及については、念仏品第二十が従来より注目されてきた。浄土教思想を中心とみるならば、念仏の仏は阿弥陀仏であるが、ここでは仏の三十二相八十種好を念ずることーつまり三昧によってーであり、仏はこの場合十方の諸仏である。ここに三昧思想と浄土思想が結合してゆく状況を見ることができるが、『論』を中心にみるならば、三昧思想の重要性がさらに指摘できるのである。
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