日本の新宗教において道徳はきわめて重要な位置を占めている。苦悩を脱却し、至上の幸福に至るためには、他者に対してつねに善意をもち、善い行いをすることが大切だと信じられている。道徳とは行為として外部に現われるものだけを指すのではない。心の状態をつねに良いものに保って生きていかねばならない。したがって新宗教の道徳は「心なおし」として自覚されていることが多い。新宗教の中でも道徳的要素がとくに強調されるのが、修養道徳型の教団である。本研究は新宗教の道徳意識と道徳実践を巾広く比較しながら明らかにすることを目指したが、主要な研究対象としては、修養道徳型の新宗教教団である修養団捧誠会を取り上げた。この教団は栃木県佐野市高萩の貧しい農家の出身である出居清太郎(1899ー1983)によって創始された。出居は17才の時に上京し、病気を癒されたことから天理教にひかれ、やがて天理教の分派であるほんみちに所属するようになる。しかし、次第に自分独自の信仰を自覚するようになり、1941年修養団捧誠会を創設した。この教団は何よりもまず、「徳を積み、徳を及ぼす」ことを要求する。では、彼らのいう「徳」とは何であろうか。徳にはまず宇宙的形而上的な次元がある。宇宙のリズムと一本化して生きることである。しかしまた、徳は身近な生活の中の具体的道徳実践でもある。他者を愛し、他者と和合して生きること、また自らの心をつねに平静で浄らかで明るい状態に保つことが徳となるのである。こうした道徳意識や道徳実践は近代日本人の間に広く見られる和合倫理の典型的な現れと見ることができる。しかし、修養団捧誠会の場合には、和合倫理の中の自律性や普遍的愛他主義の局面がかなり顕著には認められると言ってよいであろう。
|