平成元年度は小山正太郎の遺族所蔵資料の撮影収集と整理分析の作業をした。資料は素描を中心とする絵画類、文書・書簡類、写真等より成る。その大部分を撮影収集した。撮影資料の整理分析作業は、未だ終了していないが、これまでの作業からでも既に多くの新知見を得ることができた。そのうち主なものをいくつか挙げる。 小山正太郎の筆と思われる素描作品のうち大半の177点に年記が入っていて、年月順に作風の変化を確認できた。最初期はフォンタネ-ジ風の大きな明暗のマッスで表現する様式、明治十年代後半は太い描線を取入れた様式、それ以後は徐々に繊細な描線の様式へと変化していくことがわかった。この知見をもとに無年期の作品も、おおよその作画時期を推定することができることになる。 小山正太郎の文書資料に自作の俳句集二冊がある。明治十年代前半の作で、写実的な句風である。小山の作画意識と漢詩との関連は既に指摘されているが、この資料の発見により作画意識と俳句との関連も検討すべき課題であることがわかった。 文書資料には明治十年代の日記や旅行記がいくつか含まれていて、これまで曖昧であった、明治十二、三年頃の小山の行動を詳しく跡づけることができた。これによって多くの新たな事実を明らかにできた。 小山正太郎以外の筆になる作品、多くは無記名であるが、資料中に含まれている。その中で点数の多いのが不同舎門人の題画作品である。これは不同舎での課題による戯画風の小品である。従来、実物で確認できなかったものである。本多錦吉郎の彰技堂でも、この題画教育が行われている。彰技堂、不同舎出身者にさし絵や漫画を描く画家が何人か出ていることの背景に、これらの塾での題画教育にあると推定される。この題画教育は、彰技堂および不同舎の教育の特色の一つであると言える。
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