研究概要 |
平成二年度は小山正太郎の画塾不同舎の門人であった吉田博,吉田ふじをの遺族所蔵資料の撮影収集と整理分析の作業をした。資料は博とふじを両人の素描374点,水彩画186点,油絵3点,そして博・ふじをの友人・関係者たちの素描22点と水彩画31点,作者不明の素描20点と水彩画26点,その他外国人の作品数点である。以上のように大部分は吉田博とふじをの素描と水彩画である。文書資料は博の「九州旅行(絵日記)」1点だけであった。上記資料の大部分を撮影収集した。ただ、ふじをの水彩画に明らかに大正・昭和期の作品と思われるものがあり、それの目録は作ったが、撮影はしなかった。 吉田博の素描53点,水彩画20点と、吉田ふじをの素描80点,水彩画24点とには年記が入っていて、不同舎時代の作品が否か、様式の時間的な変化が確認できた。年記の他に写生地名が記されている作品もあり,より具体的に制作の状況を知ることができた。また,ふじをの明治32年の年記のある素描にカッサ-ニュの手本の模写があったので,不同舎でも初歩としてカッサ-ニュの手本を使ったことが明らかとなった。 資料の中の鹿子木孟郎や満谷国四郎など不同舎時代の博・ふじをの友人の素描,水彩画が47点含まれている。修業時代の作品であるが質のよい作品が多い。また,従来名前のみで作品が知られていなかった人,たとえば吉澤儀造の素描もあり,貴重な資料群である。そして、小山正太郎や不同舎門人たちの素描は互いに似たようなものだと思われがちであるが,具体的に並べて比較してみりと,それぞれに個性の違いがあることがわかった。 以上のように平成二年度の調査においては,吉田博・ふじをの作品を中心にした具体的資料によって,不同舎での修業内容,写生地,門人間の様式の差異などが確認できた。
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