1)トパ-ズ収容所における日系人のアイデンティティの時系列的変容を検討し、日系一世、二世にとって、自分たちのエスニック・アイデンティティが大きな問題であったことが明らかになった。とくに、日系二世の場合には、収容期間の経過とともに、自分たちを“Japanese American"として自己規定していく傾向が顕著にみられ、従来の研究を指示する知見がえられた。 2)日系一世のエスニック・アイデンティティについては、収容期間の経過とともに「日系人」と自己規定する傾向が強まることを見いだした。連邦政府の方針は二世“citizen"、一世を“alien"と表現し分けることで、彼らを2つの違った社会的カテゴリ-として扱った。両者を総称する必要があるときには“evacuee"という社会的カテゴリ-を用いていた。それに対して一世は、“citizen"、“alien"、“evacuee"のすべてを日系人と表現していた。また、翻訳元の英語版に対応する表現を持たない日系人も多いことが明らかになった。こうした結果を総合すると、一世は、自分たちと二世を同一の社会的カテゴリ-に属するものとみなし、こうしち同一性を強く主張したいと望んでいた。それを可能にするアイデンティティとして、一世二世という世代間の差異を総合する「日系人」が採用されていったと考えられた。 3)トパ-ズ収容所における日系人8000人の町での誕生及び死亡の発生を手がかりにして、当時の日系人社会にとって彼らを襲ったさまざまな出来事が持つ集合的なストレスの大きさの検討を試みた。受胎の減少と死亡の増加のいずれもが、日系人をとりまく状況が急激ら大きく変化し将来の展望が開けない時期、いいかえれば予期不安が強まった時期と対応していることが見いだされた。
|