調査対象地の米沢市は旧藩以来、織物を基幹産業として発展してきたが、1970年代後半からのわが国の産業構造の転換期に、経済のソフト化・サ-ビス化の進展と繊維産業の素材革新の影響で、米沢の織物産業は全般的な不況に遭遇した。それ以降、当地においても織物産業に代わって先端技術産業が主流となり、現在は工業出荷額の7割を電機・電子機器で占めるようになった。伝統織物を地場産業としてきた米沢市では、織物関連技能の集積と若い労働力を背景として、先端産業への労働移転・技術移転を可能にした。今日の米沢市の産業構造は、織物産業では伝統的織物工芸(家内工業)と近代工場とを併存させる一方、巨大産業である日本電機・シャ-プを中心に電機・電子部品の第1次下請企業群、ならびに農村部の第2次・第3次下請(内職)を包括する複合システムを構築している。その複合システム化に対応して労働の質もまた、多様化した。米沢の今日の社会変化は、経営者層の組織面にもあらわれている。すなわちまず織物産業においては、米沢織物協同組合連合会が青年部を中心に米沢織物の再活性化を図っている。電子・電機工業では地場の下請企業群で構成している業主間のネットワ-クがある。後者についてはとりわけ「米沢市電機工業会」および「米沢市電子機器・機械工業新興協議会」が中核となる。工業会は大手6社(日本電機米沢・田村電機・日立電子米沢・明電通信工業・米沢電線・東北パイオニア)とその子会社の44社をもって構成される。協議会は第1次下請企業群によって構成され、地場業主の技術情報交流の場として機能している。また八幡原工業団地への進出企業の技術者を中心として、異業種交流プラザが形成されている。これらの複合的ネットワ-クは、そのまま米沢市の産業変動をめぐる動向の反映であるとともに、地場産業の変革に伴うわが国の地方都市の今日的な社会変化を端的に示しているといえる。
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