研究概要 |
明治期における教員文化の形成について、その時期の教員社会の主な形成者の出身層およびその交替の問題と、近代学校制度そのもののもつ制度的枠組の問題について、その相互の間にある矛盾・かっとうとその調整について考察し、資料検討して、教員文化の発生とその制度への棲みつきをさらに追究する必要が明らかになった。 イギリスを中心に、6ケ国比較調査もなされており(P.Popplotore,Sheffield Univ)、日本の教員の「達成度・達成感」の特別の低さが、国際的にも注目されていることが明らかになった。 首都圏に3地域をとり、小・中・高各100名、計900名へのアンケ-ト調査を実施し、郵送した。今年度中に回収を終えて分析に入る予定である。調査項目は、教員社会の人間関係、学校制度の仕組と教員、教員の生活と文化、教員のバ-ンアウト(燃え尽き)、などである。 インタビュ-調査は前年度につづいて、3名の戦後新制中学校教師について聴き取りを行った。そこで明らかになったことは、戦後日本の中学校の雰囲気変化の曲り角はいくつかあって、(1)旭丘中事件、(2)教育二法、(3)勤務評定実施、(4)学力テスト実施、(5)能力主義教育政策、といった1950年代から60年代の一連のエポックを通して、着実に教員世界の自由が圧迫されてきた。一つは国家統制の浸透であり、もう一つは競争的雰囲気の浸透である。 最終年度は、四方向で進めた作業を総合してまとめて行きたい。
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