(1)地域的にはカリフォルニア州に、時間的には1880年代から1910年代後半に焦点をあて、日本人の北米すなわちカリフォルニアでの努力のあとを、農業コミュニティにウエイトをおきながら考察した。 (2)まず、1880年以降の日本の政治・経済的状況、日本政府の移住観、移民政策を概観し、どうして国内移動ではなく、海外への移動を試みたのかを分析した。これは、明治期の人口の動きをとらえることであり、またどういう階層が渡航したかにも迫るものでもある。 (3)次いで、カリフォルニア州を、サンフランシスコを中心とする北部と、ロサンゼルスを中心とする南部に2分し、それぞれの地域での在米日本人の活動を年表風にまとめあげた。その際、農業コミュニティ、教会・学校・県人会・在米日本人会などの社会組織、農産物の栽培組合などの経済組織に注目した。北部の方が日本人の入植時期は早い。 (4)1907年から1910年の4年間に亘って、新世界新聞(日本人による、日本人のための日本語新聞。本社はサンフランシスコ)を通して日本人コミュニティの形成・発展過程を検討した。地域によって形成・発展時期にかなり差異のあることが分る。 (5)具体的な農業コミュティとして、大和(Yamato)コロニ-、コルテッツコロニ-をとりあげ、文献調査も試みた。時期的には前者の方が早く形成され、また、宗教的には前者はクリスチャンコミュニティ、後者は仏教徒。キリスト教徒の混在するコミュニティである。かれらが、日本的なものを保持しながら、アメリカ社会に同化してゆくプロセスを把握することができたと思う。
|