両年度の研究活動をとうして得られた知見は以下のとおりである。1.幕府や諸藩の学校の場合、政治を担う、民の上に立つサムライ的人間を養成するという目的に関しては、儒教の学派間の違いはなかった。2.身分の高い武士の教育に関心があり、出席強制もそうした人びとを対象にすることが多かった。3.幕末維新期には、しだいに教育対象を武士階級以外の人びとに拡大していったが、そのいわゆる門戸開放はさまざまな面で制限付きであった。4.公権力が設立した庶民の教育施設ー郷校・教諭所、心学舎などは幕藩社会にふさわしい良民、被治者のための教育をめざすものであり、風俗維持という点から、知育よりもむしろ徳育に重点を置いた。5.明治初年に確認された寺子屋、私塾などのさまざまな教育施設をすべて合わせると何万にもなり、その結果が庶民階級の3分の1ちかい読み書き能力を生み出したと思われる。6.幼児期に「読むこと」よりも「書くこと」が優先し、習字があらゆる教育の基礎教養であった。7.学校では儒教の古典を使用するため、どのような授業でも素読から始めた。書物の種類や学ぶ順序は学派によって異なり、身分や家柄による違いもあった。8.学校がマンモス化すると、個別教授より一斉教授が普通になったが、一方でまた、自学的方法や共同学習の工夫も盛んに行なわれた。近代学校に見られる学習法のほとんどすべての原型を認めることができる。9.学習者に刺激を与え、競争させるために等級制が採用された。等級制をうまく機能させるには、点数評価を下敷きにした試験が効果的であり、さまざまな方法が開発された。10.試験の弊害をいうものはいたが、これを否定し、廃止しようとする意見はなかった。封建社会を支える身分や家柄より、試験で確認できる実力の方がはるかに信頼できたからであろう。
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