研究概要 |
(1)府県教育会は、1890年前後の日本において全ての府県に設立され、以後1940年代に至るまで約50年間活動した、地域的・職能的教育団体であった。この団体は、当初公立のものもあったがその多くは私立の任意団体であった。1898年以降法人化するものも多く、郡市教育会を含めて1940年までには216の教育会が法人化した。教育会には、教員、教育行政官だけでなく目的に賛同する有志者も加入した。教育会は台湾や朝鮮などの旧植民地にも設置されたのである。 (2)府県教育会は1944年,大日本教育会県支部となるまで全国組織や行政当局から独立して活動した。とは言え1900年ごろからは,府県より補助金を受けて事業を行うのが普通だった.県当局の諮問への答議や建議、教員の養成と研修・講習.附属図書館や学校の経営、教育諸条件の改善、教育調査、各種出版物の刊行等を通して、行政を補完しながら、地域教育の普及・発展に努めた。 (3)1930年以降は、国の教育統制策によって地域の主体性を喪失し、翼賛的教化団体となってしまった。戦後、1948年大日本教育会の解散と共に、府県教育会の夛くも解散し、その役割の少なからぬ部分は、教職員組合に引き継がれた。 (4)府県教育会の活動の中で、出版活動は特に注目すべきものであった。検定教科書や副読本の編纂発行.教授用資料の作成.法規集や職員録の刊行.府県教育史や自らの沿革史の出版.そして何よりも重要なのは、府県教育会雑誌の編纂発行であった。府県教育会雑誌(月刊が多い)は、50年間.600号を越えるものも多く、第三種郵便物の認可を受けて市販され、その地域の教育文化の啓蒙的役割も果した。この雑誌は、地域における教育の実際を伝える貴重な資料であるが、保存状態は決して良好とは言えず.散逸分の調査を含め大きな課題である。
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