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1990 年度 実績報告書

地ならし制の比較研究

研究課題

研究課題/領域番号 01510199
研究機関広島大学

研究代表者

青野 春水  広島大学, 教育学部, 教授 (20044068)

キーワード地ならし / 検地 / 郷切 / 村切 / 春免 / 表高 / 現高 / 撫高
研究概要

本年度実施の熊本藩、長州藩の地ならし研究は、計画通り進み、次のような新知見を得た。1.熊本藩(1)地ならしは竿撫とも呼称され、地ならしには地撫を主に地〓・地揃・地平・地〓などの字も当てられた。(2)加藤時代すでに部分的に実施されていた。(3)細川氏は入封直後の寛永十年から地ならしを実施したが、本格的な実施は寛永十二年からであった。このことは現存する地ならし帳が寛永十二年と同十四年に集中していることからも明らかである。(4)寛永十二年には主として蔵入地に、同十四年には主として知行地に実施された。(5)実施目的は、春免を合理的に実施し年貢を公平に収取することにあった。(6)実施方法は藩が示した。それによると、村高を固定したうえで畝改と地位改をする、その実施については豊民にまかせる(手永単位)、というものであった。なお当藩には(イ)表高、(ロ)現高、(ハ)撫高などがあり、必要に応じて使分けられていた。(6)の村高というのは(ロ)の現高のことであり、年貢を賦課する高であった。(7)寛永の地ならし帳は宝暦・明和期まで藩の土地台帳として存続した。2、長州藩(1)地ならしには地〓の字が当てられた。(2)寛永二年郷切・村切の実施とともに相給村において田畑ならしが実施され、田畑の石盛が補訂された。(3)春免を実施する目的で、寛永二十年続いて慶安五年田畑ならしが実施された。(4)地ならしという呼称で実施された最初は寛文二年であるが、続いて貞享三年・宝暦十一年にも実施された。特に貞享三年の地ならし実施に対しては、大土地所持者が反対した。(5)実施目的は、春免を合理的に実施し年貢を分平に収取することにあった。(6)実施方法は、藩が行う田畑の畝高改であり、田畑ならし・地ならしと呼称はされたが事実上の検地であった。

  • 研究成果

    (1件)

すべて その他

すべて 文献書誌 (1件)

  • [文献書誌] 青野 春水: "広島藩の上り高について" 日本歴史. 505. 91-95 (1990)

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公開日: 1993-08-11   更新日: 2016-04-21  

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