これまでの研究では、沖縄県の成立までの歴史は明らかにされているが、その後の初期県政の歴史は充分に研究されていなかった。 とくにもっとも重要な県の役人や政府の代表的な人物たちの文書(書簡)を史料にした実証的な研究が必要である。この研究において、解明できたことは、次のとおりである。 (1)「鍋島直彬沖縄関係文書」(沖縄県立図書館)および「原忠順関係文書」(琉球大学附属図書館蔵)を調査・分析することができた。 (2)「鍋島直彬沖縄関係文書」に含まれている9通の岩倉具視の書簡によって、中央政府の沖縄県政に対する姿勢、岩倉と鍋島との親密な関係などが明らかになった。 (3)「原忠順関係文書」にふくまれている、原に宛てた鍋島県令の長文書簡によって、内務省の沖縄県政批判、鍋島県令と内務省官僚との対立事情、鍋島県令および原沖縄県少書記官の更送の経緯(鍋島・原の辞職にいたる状況)などが明らかになった。 (4)さらに鍋島書簡(長文)によって、明治政府内の大臣(卿)・参議の間に対立・協調などの関係がみられる。 (5)鍋島県令と対立した鹿児島商人、県令に対する不満から退職した県の役人などが、内務省内部における鍋島県政批判を強める役割を果したことも明らかになった。 (6)鍋島県令と原少書記官との親密な関係、鍋島県令が自分のことよりも原を弁護することに熱心であったことなどが詳しく明らかになった。 (7)これまでの鍋島県政に対する評価は、もっと高く評価されるべきであることも明らかになった。 今後は鍋島県政のみならず、上杉県政・岩村県政についても詳細な研究を根本史料(文書)によって進めていきたい所存である。
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