平成元年度に実施した『慈覚大師伝』の諸本調査の成果を基礎とし、本年度は、『慈覚大師伝』誌本の書写過程を考え、また書写の基となった本の発見を中心として研究を進め、幾つかの新しい事実を見出だすことができた。 従来最古の写本として知られていた前田育徳会尊経閣文庫所蔵二尊院本『慈覚大師伝』は、建長2(1250)年の写しであり、善本であることに相違ないものの、この写本はその後寛永17(1640)年に至るまで、転写されたことは一切なく、現在残っている諸写本には、差程影響を与えていないことを新たに見出だすことができた。 これに対して、現存する諸写本に最も影響を与えたのは、祖本となった京都大原三千院所蔵の天文8(1539)年書写本であり、この写本を基に転写していったのである。 また、重要文化財に指定されている京都大原三千院本長承2年具注暦紙背『慈覚大師伝』を再度調査し、昨年度、新たに発見した阪本龍門文庫本も、これと同様、草稿本の一種である、恐らくともに同一の本を書写した可能性が濃厚であることなどを考察し、その書写原本の成立年代もあわせて推定するに至った。さらに従来不明確のままであった国史『日本三代実録』貞観6年正月14日辛丑条・円仁卒伝に用いられた単行の円仁の伝は、京都大原三千院本が書写した草稿本的な『慈覚大師伝』であろうとの一応の結論を導き出すに至ったのである。 前田育徳会尊経閣文庫所蔵二尊院本のみが有する奥書についても検討を加え、成立していた円仁の伝に、追加した伝であること、またこの奥書は一つの文書のような独立した性格を持ったものであることも明確にした。
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