研究概要 |
日本の宗教史を考える場合、重要な要素でありながら、従来、等閑視されることの多かった陰陽道について、その展開と民俗宗教への影響についての解明を目的として調査・研究を進めてきた。特に取り上げた近世陰陽道は土御門言えによる雑多な民間宗教者の系列化という一面を持っている。本研究では文献学的な調査・研究に加え、民俗調査を含む現地調査を実施した。設備備品費で購入した機材、従来愛知学院大学の所蔵する機器等を用いて、資料収集、現地調査を実施した。収集した資料としては、京都府立総合資料館所蔵の若杉家文書に加え、京都聖護院所蔵の修経道と陰陽道の訴訟に関する文書の写真撮影を行った。収集された資料による研究も順調に進められている。現地調査では従来からてがけている福井県遠敷群名田庄村納田終地区、奥三河周辺地域の民俗宗教の調査を実施し、多くの調査記録を作成することができた。なお、現地調査を進める過程において民俗宗教の中での陰陽道と修験道との混交の著しいことを改めて認識した。民俗宗教の中では、土御門家の免許を受けた宗教者といってもその内容に大きな差異の存在することが明らかになってきた。このため、調査を行った事例の中から,確実に陰陽道の影響であると指摘できるものを挙げるのは未だ困難な状況である。また、外部講師として招いた木場明志氏より、陰陽道は本来、国家・主義に対する奉仕を使命とする性質が濃厚なものであるので、民俗宗教としての陰陽道という視点にはやや疑問を感じるとの指摘があった。先に述べたことも木場氏の指摘も「何が陰陽道なのか」という陰陽道の定義に関わる問題であろう。今後の調査・研究を通じて、この問題の解明にもなにがしかの解答を得たいと考えている次第である。
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