敦賀半島の集落に遺される歴史資料調査のうち、名子明光寺文書(83点)、竹波中村幸雄家文書(101点)、色浜区有文書(277点)については、昭和62年度より調査にとりかかり、平成元年度中に写真撮影とカ-ド化を終了した。 平成元年度は、新たに白木区有文書(324点)、手浦秦実家文書(43点)、浦底区有文書(84点)、滋賀大学経済学部附属史料館所蔵・縄間斉藤家文書(219点)、沓山本明智家文書(1000点以上)、名子八幡宮所蔵船絵馬(29点)などを撮影した。このうち、白木区有文書、縄間斉藤家文書、手浦秦実家文書については、カ-ド化を終了した。また、京都大学文学部博物館に『若狭漁村史料』収載の関係史料について調査した。 史料の撮影・整理を進める一方、名子明光寺文書の解読と、塩田関係史料の抽出・分析にとりかかった。ことに、塩生産・塩年貢に関して重要な情報を含む史料を多く得たため、塩業史の全体像の把握と先行研究等の捜索のため、2度にわたって東京・たばこと塩の博物館を訪れ、関係史料を蒐集した。こうした調査の過程で、敦賀半島西浦地区(敦賀市域)の各集落における塩田経営に、塩木(燃料)とともに、塩田築造のための砂の不足と、その供給方法について、砂盗などを含めユニ-クな事実が明らかとなってきている。砂渡船による砂の運び入れ、その供給源(三国周辺といわれる)についてなど、新たな課題も得たことは、大きな成果といえる。
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