本研究では明末清初期に主張された皇帝権抑制論と地方自治論(封建論)の意義を、当該時期の支配層とされる郷紳の存在形態とその思想を通して分析を行った。そこで指摘できることは、儒教イデオロギ-に基づくあるべき秩序が、明末に至って固定化・形骸化したという厳然たる事実である。もともと中国前近代の専制支配は、人々が秩序維持を皇帝権力に委託して生まれたという側面を持つ。しかし未曽有に強大化した明朝専制支配のもと、人々は国家によって統制される客体の位置に甘んじることになった。秩序は統制のために機能し、また固定化した秩序はその上位者にのみ特権的な地位を保障する。本来の徳に基づく君一臣一民の秩序は、統制を媒介とした皇帝一官一民の秩序へと転化してしまったのである。加えて明末の生産力の飛躍的な上昇と商品経済の発達は、支配層の生活を一層退廃的なものとした。力を強めてきた民衆は、既存の秩序に対するあからさまな抵抗を試み、抗租・奴変・民変等の民衆運動を展開する。こうした専制支配の桎梏とそれに抵抗する民衆の狭間にあって、郷紳の立場から提示されたのが皇帝権抑制論や地方自治論だったのである。それは当時の混乱した世相に危機感を抱く良心的な郷紳が、自らの秩序意識を喚起し、儒教イデオロギ-に則りつつ、あるべき世界を展望したものであった。もっとも、彼らの主張は結局実現を見ず、やがて清朝専制支配が確立する。それは究極において、専制支配が郷紳も含めた人々の秩序維持志向に適合する面を持っていたからである。そこに二千年来に亙って皇帝支配を継続させてきた中国社会の原理性が存在する。とすれば、中国社会はヨ-ロッパ勢力の進出なくして、専制体制を自力で乗り越えることができなかったということなのか。今後とも追求すべき課題は一にこの点にあるといわねばならない。
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